吉川英治『三国志(新聞連載版)』(676)陣中戯言なし(一)
昭和16年(1941)11月30日(日)付掲載(11月29日(土)配達)
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その後すぐ呉の諜報機関は、蔡瑁、張允の二将が曹操に殺されて、敵の水軍司令部は、すつかり首脳部を入れ替へたといふ事実を知つた。
周瑜は、それを聞いて、
「どうだ、おれの計略は、名人が弓を引いて、翊(か)ける鳥を射(い)的(あ)てたやうに中(あた)つたらうが」
と、魯粛へ誇つた。
よほど得意だつたとみえて、なほ問はず語りに、
「あの蔡瑁、張允のふたりが、水軍を統率してゐる間は油断がならぬと、先夜のこと以来、憂へてゐたが、これでもう魏の船手も怖るゝに足らん。早晩、曹操の運命は、この掌(たなごゝろ)のうちにあらう」
と、云つて、又ふと、
「——だが、この深謀を、わが計(はかりごと)と知るものは、今のところ、味方にもないが、或(あるひ)(ママ)は孔明だけはどう考へてゐるかわからん。ひとつ、御辺がさあらぬ顔して、孔明を訪れ、彼がこの事を、なんと批判するか、探つてみぬか。それも後々(のち/\)の備へに心得ておく必要があるからな」
と、つけ加へた。
翌日、魯粛は、孔明の船住居を訪れた。一艘の船を江岸につないで、孔明は船窓の簾(レン)を垂れてゐた。
「この頃は、軍務に忙しく、つい御無沙汰してゐましたが、お変りありませんか」
「見らるゝ如く、至つて無聊(ブレウ)ですが……実は、今日にも一度出向いて、親しく周都督へ賀を陳(の)べたいと思つてゐたところです」
「賀を?……。ほうう、一体、何のお慶びがあつて?」
「あなたが御存じないわけがないが」
「いや、忙務に趁(お)はれてゐたせゐか、まだ何も聞いてません。賀とは、何事をさして、仰つしやるのか」
「つまり周都督が、あなたをこゝに遣はして、私の胸をさぐらせようとなすつた……その事です」
「えつ……?」
魯粛は、色を失つて、茫然、孔明の顔をしばらく眺めてゐたが、
「先生。……どうしてそれを御承知なのですか」
「おたづねは愚です。蔣幹をすら首尾よくあざむき得た周都督の叡智ではありませんか。今に自然お覚(さと)りになるにちがひない」
「いや、どうも、先生の明察には愕きました。さう申されては、二言もありません」
「ともあれ、蔣幹を逆に用ひて、蔡瑁、張允を除いたことは、周都督として、まことに大成功でした。仄聞(ソクブン)するに、曹操は二人の亡きあとへ、毛玠、于禁を登用して、水軍の都督に任じ、専ら士気の刷新と調練に旦暮も怠らず——とか云はれてゐますが、元来、毛玠も于禁も舟軍(ふないくさ)の大将といふ器ではありません。やがて自ら破滅を求め、収拾にも窮せんこと火を睹(み)るより明かです」
何から何まで先を言はれて、魯粛は口をひらく事もせず、たゞ呆れ顔してゐた。そして非常に間のわるい気もするので、無用な世間ばなしなどを持ち出し、辛くも座談をつくろつてはう/\の態(テイ)に立ち帰つた。
彼の帰りかけるとき、孔明は、船の外まで送つて来て、かう彼の口を誡(いまし)めた。
「本陣へお戻りになつても、すでに孔明がこのたびの計(はかりごと)を知つてゐたといふことは、周都督へも、どうか云はないでおいて下さい。——もし、それと聞けば、都督はまた必ずこの孔明を害さうとなさるにちがひない。人間の心理といふものはふしぎなものに作用されがちですからな」
魯粛は、頷(うなづ)いて彼と別れて来たが、周瑜の顔を見ると、隠してゐられなかつた。——有(あり)の儘(まゝ)を復命して、
「孔明の烱眼(ケイガン)には、まつたく胆(きも)をつぶされました。あながち、けふばかりではありませんが」
と、つい周瑜に向つてすべてを仔細に語つてしまつた。
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次回 → 陣中戯言なし(二)(2025年12月1日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

