吉川英治『三国志(新聞連載版)』(673)群英の会(三)
昭和16年(1941)11月27日(木)付掲載(11月26日(水)配達)
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蔣幹は内心、〔どき〕としたが、さあらぬ態(テイ)で、
「これはどうも、迷惑なお疑ひですな。近頃、閣下の御高名が呉に振ふにつけても、よそながら慶祝にたえず、竹馬の友たりし頃の昔語りでもせんものと、お訪ねして来たのに。——曹操の説客ならんとは、心外千万じや」
と、わざと面(つら)膨らせて見せると、周瑜は笑つて、その肩を撫で、且つ宥(なだ)めて、
「まあ、さう怒りたもふな。隔てなき旧友なればこそ、つい冗談も出るといふもの。——何しろ、よく来てくれた。陣中、歓待(もてな)しもできないが、今夜は大いに久濶を叙(の)べて楽しまう」
と、共に臂(ひぢ)を組んで、酒宴の席へ誘つた。
堂上堂下に集まつた諸将はみな錦繡の袖をかさね、卓上には金銀の器、瑠璃の杯、漢銅の花器など、陣中とも思はれない豪華な設けであつた。
主客、席につくと、喨々(レウ/\)、得勝楽(トクシヤウガク)といふ軍楽が奏された。周瑜は起(た)つて、幕下の人々へむかひ、
「この蔣幹は、自分とは同窓の友で、今日、江北から訪ねてくれたが、決して、曹操の説客ではないから、心(こゝろ)措(お)きのないやうに」
と、客を紹介したはいゝが、変な云ひまはしをして、愈々(いよ/\)蔣幹の心を寒からしめた。
のみならず、諸大将の中から、太史慈を呼び出して、自分の剣を渡し、
「こよひは懐(なつか)しい旧友と共に、夜を徹して、楽しまうと思ふが、もし、遠来の客に非礼があつてはならぬ。御客が第一の迷惑とされることは、曹操の説客(セツカク)ならずやと、白眼視されることである。だからもしこの席上で、曹操とわが国との合戦の事など、かりそめにも口にする者があつたら、即座に、この剣をもつて斬つて捨てい」
と、命じた。
太史慈は、剣をうけて、席の一方に立つてゐた。蔣幹はまるで針の莚(むしろ)に坐つてゐるやうな心地だつた。
周瑜は、杯(さかづき)を把(と)つて、
「出陣以来、酒をつゝしんで、陣中では一滴も飲まなかつたが、今夜は、旧友幹兄のために、心ゆくまで飲むつもりだ。諸将も客にすゝめて、共に鬱気をはらすがいゝ」
と、快飲し初めた。
満座、酒に沸いて、興も漸く酣(たけなは)であつた。佳肴(カカウ)杯盤(ハイバン)は巡り、人々は交々(こも/゛\)立つて舞ひ謡ひ、また囃(はや)した。
「長夜の歓はまだ宵のうち、すこし外気に酔をさまして、また飲み直さう」
周瑜は、蔣幹と臂(ひぢ)を組んで、帳外へ拉(ラツ)して行つた。そして陣中を逍遙しながら、武器兵糧の豊富にある所を見せたり、営中の士気の旺(さかん)なる有様をそれとなく見せて歩いた。
そして、以前の席へ、戻つて来たが、その途々(みち/\)にも、
「貴公とおれとは、同窓に書を読み、幼時から共に将来のことを語つたこともあるが、今日、呉の三軍をひきゐ、身は大都督の高きに在り、呉君は自分を重用して、自分の言なら用ひてくれないことはない。こんなに迄(まで)、立身しようとは、あの頃も思はなかつたよ。故に今、古の蘇秦、張儀のやうな者が来て、いかに懸河の辯をふるつてこの周瑜を説かんとしても、この心は金鉄のやうなものさ。いはんや一腐れ儒者などが、常套的な理論をもつて、周瑜の心を変へようなんて考へて来る者があるとすれば、これほど滑稽なことはない」
と、大笑した。
蔣幹の体はあきらかに顫(ふる)へてゐた。酔もさめて顔は土気いろになつてゐる。周瑜はまた、宴の帳内へ彼を拉して、
「やあ幹兄。すつかり酒気が醒めたやうぢやないか。さあ、大杯で乾(ほ)し給へ」 と、杯を強(し)ひ、さらに諸大将にも促がして、後から/\と杯をすゝめさせた。
杯攻めに会つてゐる蔣幹の困り顔をながめながら、周瑜はまた、
「今夜、こゝにゐるのは、みな呉の英傑ばかりで、群英の会とわれわれは称してゐる。この会の吉例として、それがしの舞を一曲御覧に入れよう。——方々(かた/゛\)、歌へや」
さう云ふと、彼は剣を抜いて、珠と散る燭の光りを、一閃また一閃、打(うち)振りながら舞ひ出した。
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