吉川英治『三国志(新聞連載版)』(674)群英の会(四)
昭和16年(1941)11月28日(金)付掲載(11月27日(木)配達)
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大丈夫処世立功名(ダイジヤウブヨにシヨしてコウミヤウをタつ)
功名既立兮王業成(コウミヤウスデにタつてワウゲフナる)
王業成兮四海清輝(ワウゲフナりてシカイセイキす)
四海清兮天下泰平(シカイキヨくしてテンカタイヘイ)
天下泰平兮吾将酔(テンカタイヘイにしてワレマサにヨはんとす)
吾将酔兮舞霜鉾(ワレマサにヨはんとしてサウボウをマはす)
周瑜は剣を振つて且つ歌ひ且つ舞ひ、諸将は唱和して、また拍手歓呼し、夜は更けるとも、興の尽(つく)るを知らなかつた。
「ああ、愉快だつた。幹公、今夜は御辺と同じ床に寝て、語り明かさう」
蹌踉(サウラウ)として、周瑜は蔣幹の首にかじりつき、ともに寝所へ転(まろ)びこんだ。
——と同時に、周瑜は、衣も脱がず帯も解かず、泥酔狼藉、牀(セウ)(ママ)をよそに、床の上へ仆(たふ)れて寝てしまつた。
「都督、都督。……そんなところへ眠つてしまはれてはいけません。お体の毒です。風邪でもひいては」
と、蔣幹は幾度か揺(ゆ)り起してみたが、覚めればこそ、鼾声(いびき)を増すばかりで、房中も忽ち酒蔵(さかぐら)のやうな匂ひに蒸れた。
たゞ/\胆(きも)を奪はれて、宵のうちから酔へもせず、たゞ、恟々(ケウ/\)(ママ)としてゐた蔣幹は、もちろんこゝへ入つても容易に眠りつくことができなかつた。
夜はすでに四更に近い。陣中を巡邏する警板の響きがする。……周瑜はとみればなほ前後不覚の態(テイ)たらくだ。残燈の光淡く、浅ましい寝すがたに明滅してゐる。
「……おや?」
蔣幹は〔むく〕と身を起した。卓上に多くの書類や書簡が取り散らかつてゐる。下にこぼれ落ちてゐる五、六通を拾つて〔そつ〕と見ると、みな陣中往来の機密文書である。
「……?」
怪しく手が顫(ふる)へた。——蔣幹の眼は細かに動いて、幾たびも、周瑜の寝顔にそゝがれ、又、書簡の幾通かを、次々に、迅い眼で読んで行つた。
愕然、彼の顔色を変へさせた一片の文字がある。見おぼえのあるやうな手蹟と思つて、展(ひら)いてみると、果(はた)して、それは曹操の幕下で日常顔を見てゐる張允の手簡ではないか。
蔡瑁、張允啓白。
それがし等、一旦、曹に降るは、
仕禄を図るに非ず、みな時の勢に
迫らるゝのみ。今すでに北軍を
賺(なだ)めて寨中に籠めしむ。
みな生等が復仇の意謀に
因(もと)づいてかく牽制する
ところの現れなり。
今し、南風に託し、一便の牒状を
齎(もたら)したまはば、即ち、内に
乱を発し、曹操の首を火中に挙げて
呉陣に献ぜん。是れ、故国亡主の怨を
すゝぐ所にして、また天下の為なり。
早晩人到り、回報疾風のごとくあらん
ことを。敬覆、深く照察を乞ひ仰ぐ。
「う、う。……うーむ」
ふいに周瑜が寝返りを打つた。蔣幹はあわてゝ燈火(ともしび)をふき消した。そして暫く様子を見てゐたが、また大(おほ)鼾(いびき)をかいて寝入つたらしいので、自分もそつと、衾を打(うち)被(かつ)いで牀(セウ)(ママ)のうへに横たはつてゐた。
——すると、帳外の扉(と)を、誰(たれ)かコツ/\と叩く者がある。蔣幹は息をころしてゐた。やがて佩剣(ハイケン)の音が入つて来た。周瑜の腹心の大将らしい。頻(しき)りに揺(ゆ)り起して、何か囁いてゐる声がする。
周瑜は、やつと起上がつた。そして蔣幹の方を見て、
「この寝所へ、自分と共に寝こんだやつは、一体どこの何者だ」
などゝ訊ねてゐる。
腹心の大将が、それは閣下の御友人とか云ふ蔣幹です、と答へると、非常に愕いた様子で、
「なに、蔣幹だと。それはいかん。……なぜもつと静にものを云はんか」
と、急に、対手(あひて)の声をたしなめながら、帳の外へ出て行つた。
二人は、かなり長い間、何か立ち話をしてゐるふうであつたが、時々、張允とか、蔡瑁とかいふ名が、会話のうちに聞えて来た。
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