吉川英治『三国志(新聞連載版)』(670)狂瀾(三)
昭和16年(1941)11月23日(日)付掲載(11月22日(土)配達)
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夜は白みかけたが、濃霧のために水路の視野も遮られて、魏の艨艟(モウドウ)も、呉の大船陣も、互ひに、すぐ目前に迫りあふまで、その接近を知り得なかつた。
「おうつ、敵の船だつ」
「懸(かゝ)れつ」
突如として、魏の兵船は、押太鼓を打(うち)鳴らしながら、白波(ハクハ)をあげて、呉船の陣列を割つて来た。
時に、呉の旗艦らしい一艘の舳(みよし)に立つて、海龍の盔(かぶと)をいたゞゐた一名の大将が、大音をあげて、魏船の操縦の下手(まづ)さを嘲つた。
「荊州の蛙(かへる)、北国の鼬(いたち)どもが、人真似して軍船に乗りたる図こそ笑止なれ。水上の戦とは、かうするものだぞ。冥途の土産にわが働きを見て行くがいゝ」
と、まづ船楼に懸(かけ)並べた弩弓(ドキウ)の弦(つる)を一斉に切つて放つた。
曹軍の都督蔡瑁は、人もなげな敵の豪語に、烈火のごとく怒つて自ら舳(みよし)に行かうとすると、すでに弟の蔡薫(サイクン)が、そこに立つて、敵へ云ひ返してゐた。
「龍頭の漁夫、名はないのか。われは大都督の舎弟蔡薫だ。遠吠えをやめて、船を寄せて来い。一太刀に斬り落して、魚腹へ葬つてくれるから」
すると、遠くで、
「甘寧を知らないのは、いよ/\水軍の潜りたる證拠だ。腰抜けな荊州蛙の一匹だらう。大江の水は、井の中とはちがふぞ」
罵るやいな、甘寧は自身、石弩(セキド)の弦(つる)を引(ひき)しぼつて、ぶんと放つた。
数箇の石弾は、唸りを立てゝ飛んで行つたが、その一弾が、蔡薫の面(おもて)をつぶした。あつと、両手で顔を掩(おほ)つたとき、また一本の矢が、蔡薫の首すぢに突つ立ち、姿は真逆さまに、舳(みよし)を嚙む狂瀾の中に呑まれてゐた。
まだ舷々(ゲン/\)相(あひ)摩(マ)しもせぬ戦の真先に、弟を討たれて、蔡瑁は心頭に怒気を燃やし、一気に呉の船列を粉砕せよと声を嗄(か)らして、将楼から号令した。
靄はやうやく霽(は)れて、両軍数千の船は、陣々(ジン/\)入(いり)乱れながらも、一艘も餘さず見ることができる。真赤に昇り出づる陽と反対に、大江の水は逆巻き、咬みあふ黒波(コクハ)白浪(ハクラウ)、さけびあふ疾風飛沫、物すさまじい狂濤(キヤウタウ)石矢(セキシ)の大血戦はこゝに展開された。
蔡瑁を乗せてゐる旗艦を中心として、一隊の縦隊船列は、深く呉軍の中へ進んで行つたが、これは水戦に晦(くら)い魏軍の主力を、巧(たくみ)に呉の甘寧が、味方の包囲形のうちに誘ひ入れたものであつた。
頃を計ると——
忽ち、左岸から韓当の一船隊、右岸から蔣欽の一船群、ふた手に、白い水脈を曳きながら、敵の主力を捕捉し、殆(ほとん)ど、前後左右から、鉄箭(テツセン)石弾(セキダン)の烈風を見舞つた。
蕭々、帆は破れ、船は傾き、魏の船団は一つ/\崩れ出した。船上いつぱい、朱(あけ)となつて、船が人力を離れて、波のまに/\漂ひ出すのを見ると、
「それつ、あれへ」
と、呉の船は、その鋭角を、敵の横腹へぶつけて、忽ち、木端(こつぱ)微塵(ミヂン)とするか、或(あるひ)は飛び移つて、皆殺しとなし、それを焼き払つた。
かうして、主力が叩かれた為、後陣の船は、まつたく個々にわかれて、岸へ乗りあげてしまふもあるし、拿捕(ダホ)されて旗を降ろすもあるし、そのほかは、帆を逆しまに逃げ出して、散々な敗戦に終つてしまつた。
甘寧は、鐘鼓を鳴らして、船歌高く引きあげたが、戦が熄(や)んでも、黄濁な大江の水には、破船の旗やら、焼けた舵(かぢ)やら、無数の死屍(シシ)などが、洪水のあとのやうに流れてゐた。
そのたくさんな戦死者は、殆(ほとん)ど魏の将士であつた——かくとその日の戦況を耳にした曹操の顔色には、頗(すこぶ)る穏やかならぬものがあつた。
「蔡瑁を呼べ。副都督の張允も呼んで来い」
大喝、何が降(くだ)るかと、召(めし)呼ばれた二人のみか、侍側の諸将もはらはらしてゐた。
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