吉川英治『三国志(新聞連載版)』(662)大号令(四)
昭和16年(1941)11月14日(金)付掲載(11月13日(木)配達)
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まだ天地は晦(くら)かつた。夜明けにはだいぶ間がある。周瑜は、家に帰る道すがら、
「さて/\孔明といふ人間は、怖ろしい人物である。常に呉君に接して間近に仕へてゐるわれわれ以上、呉君の胸中を観ぬいて少しも過(あやま)つてゐない。人心を読むこと鏡にかけて睹(み)る如しとは、彼の如きをいふのだらう。どう考へても、その慧眼と智慮は、この周瑜などより一段上と思はなければならん」
嘆服するの餘り、ひそかに後日の恐怖さへ覚えて来た。——如(し)かず、いまのうちに孔明を殺しておかないと、後(のち)には、呉の禍(わざはひ)にならうも知れぬ。
「……さうだ」
自邸の館門をはいる時、彼はひとり頷(うなづ)いてゐた。すぐ使をやつて、魯粛をよび、
「呉の大方針は確定した。これからはたゞ足下とわが輩とが、よく一致して、君侯と呉軍のあひだに立ち、敵を破砕するあるのみだから、——孔明のやうな介在は、有つても無益、かへつて後日の癌(ガン)にならないとも限らない——どうだらう?いつそ今のうちに、彼を刺し殺しては」
と、密かに計つてみた。
魯粛は、眼をみはつて、
「えつ、孔明を?」
と、二の句もつげない顔した。
「さうだ、孔明をだ」と、周瑜はたゝみかけて——「いま殺しておかなければ、やがて玄徳を扶け、魏と呉との死闘に乗じて、将来、あの智謀でどんなことを企(たく)むか測り知れない気がしてならん」
「無用です、絶対にいけません」
「不賛成か、足下は」
「もとよりでせう。まだ曹操の一兵も破らぬうちに、尠(すくな)くもこの開戦の議にあづかつて、たとへ真底からの味方ではないにしても、決して敵ではない孔明を刺してしまふなどは、どう考へても、大丈夫たる者のする事ではありません。世上に洩れたら万人の物笑ひとなりませう」
「……さうかなあ?」
さすがに、決しかねて、周瑜も考へこんでゐる容子に、魯粛は、その懐疑を解くべく、べつに一策を囁(さゝや)いた。
それは、孔明の兄諸葛瑾をさしむけて、この際、玄徳と縁を断ち、呉の正臣となるやうに、彼を説き伏せることが、最も可能性もあり、また呉のためでもあらう——といふ正論であつた。
「なるほど、それはいゝ。ひとつ折をみて、諸葛瑾に〔むね〕を含ませて、孔明を説かせてみよう」
周瑜もそれには異存はなかつた。——が、かゝるうちに早、窓外の暁天は白みかけてゐた。周瑜も魯粛も、
「では、後刻」
と別れて、忽ち、出陣の金甲鉄蓋を身にまとひ、馬上颯爽と、江畔へ駆けつけた。
大江の水は白々と波打ち、朝の光耀は三軍に映えてゐる。勢揃ひの場所たる江の岸には、はや旌旗林立のあひだに、五万の将士ことごとく集まつて、部署、配陣の令を待ちかまへてゐた。
大都督周瑜は、陣鼓のとゞろきに迎へられて、やをら駒を降り、中軍幡(チウグンバン)や司令旗などに囲まれてゐる将臺の一段高い所に立つて、
「令!」
と、全軍へ向つて伝へた。
「——王法に親(シン)なし、諸将はたゞよく職分に尽せ。いま魏の曹操は、朝権を奪(と)つて、その罪のはなはだしさ、かの董卓にもこえるものがある。内には、天子を許昌の府に籠め奉り、外には暴兵を派して、わが呉をも侵さんとしてをる。この賊を討つは、人臣の務めたり、また正義の擁護である。それ戦ひにあたるや、功あるは賞し、罪あるは罰す。正明(セイメイ)依怙(エコ)なく、軍に親疎なし、奮戦たゞ呉を負つて、魏を破れ。——行軍には、まづ韓当、黄蓋を先鋒とし、大小の兵船五百餘艘、三江の岸へさして進み陣地を構築せよ。蔣欽、周泰は第二陣につゞけ。凌統、潘璋は第三たるべし。第四陣、太史慈、呂蒙、第五陣、陸遜、董襲。——また呂範、朱治の二隊には督軍目付の任を命ず。以上しかと違背あるな」
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