吉川英治『三国志(新聞連載版)』(658)酔計(すゐけい)二花(にくわ)(六)
昭和16年(1941)11月9日(日)付掲載(11月8日(土)配達)
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「あ。お酒盞(さかづき)が砕けました」
孔明が、吟をやめて、注意すると、周瑜は憤然、酔面に怒気を燃やして、
「一箇の杯(さかづき)もまた天地の前兆と見ることができる。これはやがて魏の操軍が地に捨て去る残骸のすがただ。先生、べつな酒盞(さかづき)をとつて、それがしに酌(さ)し給へ」
「何か提督には、お気に障つたことでもあるのですか」
「操父子の作つた銅雀臺の賦なるものは、先生の吟によつて今夜初めて耳にしたが、辞句の驕慢(ケウマン)はともかく、詩中に仄(ほの)めかしてある喬家の二女に対する彼の野望は見のがし難い辱(はづか)しめだ。断じて、曹賊の飽(あく)なき野望を懲らしめねばならん」
一(イツ)盞(サン)また一盞、みづから酒をそそいで、彼の激色は火のやうな忿懣(フンマン)を加へるばかりである。孔明はわざと冷静に、そしてさも怪訝(いぶか)しげな眉をして問ひ返した。
「むかし匈奴(ケウド)(ママ)の勢が熾(さかん)な頃、しばしば中国を侵略して、時の漢朝も悩まされてゐた時代があります。当時天子は御涙を嚥(の)んで、愛(いと)しき御女(おんむすめ)の君をもつて、胡族(えびす)の主に娶(めあ)はせたまひ、一時の和親を保つて臥薪嘗胆、その間に弓馬をみがいたといふ例もあります。また元帝(ゲンテイ)が王昭君(ワウセウクン)を胡地へ送つたはなしも有名なものではありませんか。——何で提督には、今この国家の危殆(キタイ)にのぞみながら、民間の二女を送るぐらゐな事を、さう惜(をし)んだり怒つたりされるのですか」
「先生はまだ知らぬのか」
「まだ知らぬかとは……?」
「喬家の二女は、養はれて民間にあつたことは事実だが、姉の大喬は疾(と)くより先君策の室にむかへられ、妹の小喬は、かくいふ周瑜の妻となつてをる。いまのわが妻はその小喬なのだ」
「えつ、ではすでに、喬家の門を出てゐたので。これは知らなんだ。——惶恐(コウキヨウ)(ママ)、惶恐。知らぬことゝは申せ、先程からの失礼、どうかおゆるし下さい。誤まつて、みだりに無用な舌の根をうごかし、罪、死にあたひします」
と、孔明は打(うち)慄(ふる)へて見せながら平(ひら)謝(あや)まりに詫び入つた。周瑜は、かさねて、
「いや、先生に罪はない。先生のいふ巷(ちまた)の風説だけならまだ信じないかも知れぬが、銅雀臺の賦にまで歌つてゐる以上、曹操もそれを公然と揚言してゐるのであらう。いかで彼の野望に先君の後室や、わが妻を贄(にえ)に供されよう。破邪の旗、膺懲(ヨウチヨウ)の剣、われに百千の水軍あり強兵肥馬あり、誓つて、彼を撃砕せずにはおかん」
「——が、提督、古人も曰(い)つてをります。事を行ふには三(み)度(たび)よく思へと」
「いやいや、三(み)度(たび)はおろか、けふは終日、戦はんか、忍ばんか、幾十度、沈思黙考をかさねてゐたかしれないのだ。——自分の決意はもううごかない。思ふに、身不肖ながら、先君の遺言と大託をうけ、今日、呉の水軍総都督たり。今日までの修練研磨も何のためか。断じて、曹操ごときに、身を屈めて降服することはできない」
「しかし、こゝから柴桑へ帰つた諸官の者は、口を揃へて、周提督は、すでに和平の肚ぐみなりと、諸人のあひだに唱へてゐますが」
「彼等、懦弱な輩(ハイ)に、何で本心を打明けよう。仔細は輿論(ヨロン)のうごきを察しる為に他(ほか)ならない。或る者へは開戦といひ、或る者へは降服といひ、味方の士気と異論の者の顔ぶれをながめてゐたのである」
「あゝさすがは」
と、孔明は、胸を反(そ)らして、称揚するやうな姿態(しな)をした。周瑜はなほ云ひつゞけて、
「いま、鄱陽湖の軍船を、いちどに大江へ吐き出せば、江水の濤(なみ)も忽ち逆(さか)しまに躍り、未熟な操軍の船列を粉砕することもまたゝく間である。たゞ陸戦に於(おい)ては、やゝ彼に遜色を感じるものがないでもない。ねがはくば先生にも一(イツ)臂(ピ)の力をそへられい」
「その御決意さへ固ければ、元より犬馬の労も惜むものではありません。けれど呉君を初め、重臣たちの御意志のほども」
「いや/\、明日、府中へ参つたら、呉君には自分からおすゝめする。諸臣の異論など問題とするにはあたらない。号令一下。開戦の大号令一下あるのみだ」
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