吉川英治『三国志(新聞連載版)』(657)酔計(すゐけい)二花(にくわ)(五)
昭和16年(1941)11月8日(土)付掲載(11月7日(金)配達)
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「曹操ほどな英傑も、やはり人間は遂に人間的な弱点に墜(を)(ママ)ち入りやすいものとみえます。銅雀臺——。銅雀臺のごとき大土木をおのれ一個の奢りのために起したといふ事こそ、はや彼の増長慢のあらはれと哀れむべきではありませんか」
「先生。それよりは、何が故に、こゝにふたりの女性さへ彼に送れば、魏の操軍百万が、呉を侵すことなく、忽ち北方へ回(かへ)るなどゝいふ豫断が下せるのか。その本題に就(つい)て、はやくお話を触れていたゞきたいものだが」
周瑜は二度も催促した。魯粛の聞きたいところもそこの要点だけだ。何を今更、銅雀臺の奢り振(ぶり)などを、こゝで審(つぶ)さに聞く必要があらうか——と云はんばかりな顔つきである。
「いや、北国の知人の話は、もつと詳しいものでしたが、では大略して、要を搔(か)い摘(つま)んで申しませう。——その曹操は、銅雀臺の贅に飽かず、なほもう一つ大きな痴夢を抱いてゐるといふのです。それは呉の国外にまで聞えてゐる喬(ケウ)家(ケ)の二女を銅雀臺において、花の晨(あした)、月の夕(ゆふべ)、側において眺めたいといふ野心です。聞説(きくならく)、喬家の二名花とは、姉を大喬(タイケウ)といひ、妹を小喬(セウケウ)と呼ぶさうで、その傾国の美は、夙(つと)にわれわれも耳にしてゐるものです。——思ふに、古来英雄の半面には、かうした痴気凡情の例も、まゝあるのが慣(なら)ひですから、この際早速、提督には、人を派して、喬家の門へ黄金を積み、二女を求めて、曹操へお送りあれば、立ちどころに彼の攻撃は緩和され、衂(ちぬ)らずして国土の難を救ふことができませう。——これすなはち范蠡(ハンレイ)が美姫(ビキ)西施(セイシ)を送つて強猛な夫差(フサ)を亡(ほろぼ)したのと同じ計になるではありませんか」
周瑜は顔色を変じて、孔明のことばが終るや否、
「それは巷(ちまた)の俗説だらう。先生には、何か確たる根拠でもあつて、そんな巷説を真にうけてをられるのか」
「もとより確證なきことは云はん」
「ではその證拠をお見せなさい」
「曹操の第二子に、曹子建(サウシケン)といふものがある。父の操に似てよく詩文を作るので文人間に知られてゐます。この子建に向つて、父の操が、銅雀臺の賦を作らせてゐますが、その賦を見るに、われ帝王とならばかならず二喬を迎へて楼臺の花とせんといふ操の野望を暗に歌つてゐます。それがあたかも英雄の情操として美しい理想なるかの如く——」
「先生にはその賦を覚えてをられるか」
「文章の流麗なるを愛して、いつとなく暗誦(そらん)じてゐますが」
「ねがはくばそれを一吟し給へ。静聴しよう」
「ちやうど微酔の気はあり、夜は更けて静(しづか)。そゞろ私も何か低吟を唆(そゝ)られてゐます。——どうか御両所とも盞をかさねながら、座興としてお聴きください」
孔明は、睫毛(まつげ)をとぢた。
細い眸を燈(ひ)にひらく。そして、静(しづか)に吟じ出した。抑揚はゆるく声は澄んで、朗々、聴く者をして飽かしめないものがある。
明后ニ従ツテ嬉遊し層臺ニ登ツテ情(なさけ)ヲ娯(たのし)ム
中天ニ華観(クワクワン)ヲ立テ飛閣ヲ西城ニ連(つら)ヌ
漳水ノ長流ニ臨ンデ園果ノ滋栄ヲ望ミ
双臺ヲ左右ニ列シテ玉龍ト金鳳ト有リ
二喬ヲ東南ニ挟ンデ長空ノ蝀螮(テイトウ)ノ如ク
皇都ノ宏麗ニ俯シ
雲霞ノ浮動ヲ瞰(み)ル
群材ノ来リアツマルヲ欣(よろこ)ンデ
飛熊(ヒユウ)ノ吉夢ニカナヒ
春風ノ和穆(ワボク)ヲ仰ギテ百鳥ノ悲鳴ヲ聴ク……。
——ふいに、卓の下で、がちやんと、何か砕ける音がした。周瑜が手の酒盞(さかづき)を落したのである。そればかりか彼の髪の毛はそゝけ立ち、面(メン)は石のごとく硬(こは)ばつてゐた。
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