吉川英治『三国志(新聞連載版)』(655)酔計(すゐけい)二花(にくわ)(三)
昭和16年(1941)11月6日(木)付掲載(11月5日(水)配達)
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夜が更けても、客の来訪はやまない。そして、
「即時開戦せよ」
といふ者があるし、
「いや、和を乞ふに如(し)かず」
と、唱へるものがあるし、何十組となく客の顔が変つても、依然、云つてゐることは、その二つのことを繰返してゐるに過ぎなかつた。
ところへ、取次の者が、そつと主の周瑜に耳(みゝ)打(うち)した。
「魯粛どのが、仰せに従つて、ただ今、孔明を伴(つ)れて戻つて見えられましたが」
周瑜も小声でいひつけた。
「さうか。では、他(ほか)の客にはそつと、べつな部屋へ通しておけ、奥の水亭の一室がよからう」
それから周瑜は、大勢の雑客に向つて、
「もう議論は無用にしてくれ。すべては明日君前で一決する。各々は立(たち)帰つて明日のために熟睡しておくべきだらう。その方がどんなに意義があるかしれん」
と、燭(シヨク)を剪(き)つて、
「わしも今宵はもう眠るから」
と、追ひ返すやうに告げて別れた。
詮方(せんかた)なく一同が帰つてゆくと、周瑜は衣を更へて、魯粛と、孔明とを待たせてある水閣の一欄へ歩を運んで来た。——どんな人物であらう?
これは主客双方で想像してゐたことであらう。周瑜のすがたを見ると、孔明は起つて礼を施し、周瑜は、辞を低うして、初対面のあいさつを交した。
鄱陽湖の水面は夜を抱いて眠つてゐた。ひそかな波音が欄下を搏(う)つ。雲をかすめて渡る鳥の羽音すら燭にゆれるかのやうである。恍惚——寂寞(セキバク)のなかに主客はやゝ暫(しば)し唇(くち)をつぐみ合つてゐた。
楚々——いとも楚々として嫋(なよ)やかな佳嬪(カヒン)が列をなして来た。各々、酒瓶(シユヘイ)肉盤をさゝげてゐる。酒宴となつた。哄笑、談笑、放笑、微笑。孔明と周瑜とはさながら十年の知己のやうに和やかな会話をやりとりした。
そのあひだに、
孔明は周瑜をどう観たか。
周瑜は孔明の腹をどう察したか。
傍人には知る限りでない。
やがて、座をめぐる佳人もみな退いて、主客三人だけとなつたのを見すまして、魯粛は単刀直入に彼の胸をたゝいてみた。
「提督のお肚(はら)はもう決つてをりませうな。最後の断が」
「決まつてをる」
「戦ひますか。愈々(いよ/\)」
「……いや」
「では、和を乞ふおつもりなので?」
と、魯粛は眼をかゞやかして、周瑜の面を見まもつた。
「やむを得まい!どう考へてみたところで」
「えつ、然らば、提督までが、すでに曹操へ降参するお覚悟でをられるのですか」
「さう云へば、甚だ屈辱のやうだが、国を保つためには、最善な策ぢやないかな」
「こは、思ひがけないことを、あなたのお口から承はるものだ。抑抑(そもそも)、呉の国業は、破虜将軍以来、こゝに三代の基をかため、いまや完(まつた)き強大を成してをる。この富強は、われ/\臣下の子孫をして、懦弱安穏をぬすむ為に、築かれて来たものではありますまい。一(イツ)世(セ)権君(ママ。「堅君」であろう)の御創業の苦心、二(ニ)世(セ)策君の血みどろな御生涯。それに依つて建国されたこの呉の土を、むざむざ敵将操の手に委(ヰ)していゝものでせうか。汲々、一身の安全ばかり考へてゐていゝでせうか。それがしは思ふだに髪の毛が逆立ちます」
「——が、百姓のため、また、呉のためであるなら仕方がないではないか。さうした三(サン)世(セ)にわたるわれわれの主家孫一門の御安泰を計ればどうしても」
「いや/\それは、懦弱な輩のすぐ口にする口実です。長江の嶮に拠つて、ひとたび恥を知り恩を知る呉の精猛が、一体となつて、必死の防ぎに当れば、曹軍何者ぞや、寸土も呉の土を踏ませることではありません」
さつきから黙つて傍らに聞いてゐた孔明は、ふたりが激越に云ひ争ふのを見て、手を袖に入れ、何が可笑(をか)しいのか、頻(しき)りと笑ひこけてゐた。
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次回 → 酔計二花(四)(2025年11月6日(木)18時配信)

