吉川英治『三国志(新聞連載版)』(654)酔計(すゐけい)二花(にくわ)(二)
昭和16年(1941)11月5日(水)付掲載(11月4日(火)配達)
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四名の客を見くらべながら周瑜は云つた。
各々の御意見はみな、不戦論に一致してゐるわけかな?」
「もちろん吾々の議決はそこに一致してゐます」
顧雍の答を聞いて、周瑜は大きく頷(うなづ)きながら、
「同感だな。実は自分も疾(と)くから、こゝは戦ふべきに非ず、曹操に降つて和を乞ふのが呉の為だと考へてゐたところだ。明日は柴桑城にのぼつて、呉君にも申し述べよう。けふは一(ひと)先(ま)づお帰りあるがいゝ」
と、云つた。
四名は喜んで立ち帰つた。しばらくすると又、一(ひと)群(むれ)の訪客が押(おし)かけて来た。黄蓋、韓当、程普などといふ錚々(さう/\)たる武将連である。
客間に通されるやいな、程普、黄蓋など交々(こも/゛\)に口をひらき出した。
「われ/\は先君(センクン)破虜将軍(ハリヨシヤウグン)にしたがつて呉の国を興して以来、ひとへに一命はこの国に捧げ、万代鎮護の白骨となれば、願ひは足る者共です。然るにいま、呉君におかれては、碌々一身の安穏のみを計る文官たちの弱音にひかれて、遂に、曹操へ降伏せんかの御(み)気色(ケシキ)にうかゞはれる。——実に残念とも何ともいひやうがありません」
「たとへ吾々の身が、ずた/\にされようとも、この屈辱には忍び得ない。誓つて、曹操の前に、この膝は屈せぬつもりです。——提督は抑(そも)、この事態にたいし、いかなる御決心を抱いておらるるか。きようはそれを伺いに来たわけですが」と、周瑜を囲んでつめ寄つた。
周瑜は、反問して、
「では、この座にある方々は、すべて一戦の覚悟を固めてをるのか」
黄蓋は主(あるじ)の言下に自分の首すぢへ丁(テウ)と手を当てゝ見せながら、
「この首が落ちる迄(まで)も、断じて、曹操に屈伏せぬ心底です」
と、云つた。
ほかの武将も、異口同音に、誓ひを訴へ、即時開戦の急を、激越な口調で論じた。
「よし/\、この周瑜も、元より曹操如きに降る気はない。併(しか)し、けふの所は一(ひと)先(ま)づ静(しづか)に引揚げたがいゝ。事は明日決するから」
と、なだめて帰した。
夕方に迫つて、また客が来た。刺(シ)を通じて、
「——これは闞沢(カンタク)、呂範、朱治、諸葛瑾などの輩(ともがら)ですが、折入つて、提督にお目にかゝりたい」
なほ附け加へて、
「国家の一大事に就(つい)て」
と申し入れた。
この人々は、いはゆる中立派であつた。主戦、非戦、いづれとも考へがつかない為に来たのである。
周瑜は、その中にある諸葛瑾を見て、まづ問うた。
「あなたはどう考へてゐるのですか。あなたの弟諸葛亮は、玄徳のむねをうけて、呉との軍事同盟をはかり、共に曹操に当らんといふ使命をもつて来てをる由だが」
「それ故に、てまへの立場は、非常に困つてをります。私は孔明の兄だと観られてをりますから。——で、実は、わざと商議にも関はらず、心ならずも局外に立つて、この紛論をながめてゐるわけです」
「それは、どうかと思ふな」
と周瑜は唇(くち)元を歪(ゆが)めて、
「御辺の立場は分るが、兄であるとか弟であるとか、そんな事は私事(わたくしごと)だ。家庭の問題とはちがふ。孔明はすでに他国の臣。御辺は呉の重臣。おのづから事理明白ではないか。呉臣として、貴公の信ずる所は、戦ひにあるのか降伏にあるのか」
瑾は、沈黙してゐたが、
「降参は安く、戦(たたかひ)は危ふし。呉の安全を考へるときは、戦はぬに限ると思ひます」
と、やがて答へた。
周瑜はゆがめてゐた唇(くち)元(もと)から一笑を放つて、
「では、弟の孔明とは、反対なお考へだな。なるほど御苦衷だらう。——ともあれ大事一決の議は、明日、それがしが君前に伺つた後にする。今日は帰り給へ」
かくて又、夜に入ると、呂蒙だの、甘寧だのといふ名だゝる将軍や文官たちが、入れ代り立ちかはり、こゝの門へ入つては忽ち出て行つた。それは実に夥(おびたゞ)しい往来だつた。
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