吉川英治『三国志(新聞連載版)』(649)火中の栗(二)
昭和16年(1941)10月29日(水)付掲載(10月28日(火)配達)
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香の高い茶が饗された。
孫権は、孔明にすゝめながら、共に茶を啜(すゝ)つて、
「新野の戦はどうでした。あれは先生が劉豫州を扶(たす)けて戦つた最初のものでせう」
「敗れました。兵は数千に足らず、将は五指に足りません。また新野は守るに不適当な城地ですから」
「いつたい曹操の兵力は——実数はです——どの位のところが本当でせう」
「百万はあります」
「さう号してゐるのですな」
「いや、確実なところです。北の青州、兗州を亡した時、すでに四、五十万はありました。更に、袁紹を討つて四、五十万を加へ、中国に養ふ直属の精鋭は少くも二、三十万を下るまいと思はれます。私が百万と申しあげたのは、この国の方々が、曹操の実力百五、六十万もありと云つたら驚かれて気も萎(な)えてしまふであらうと、わざと少く評価してお答へいたしたのです」
「それに臨む帷幕(ヰバク)の大将は」
「良将二、三千人。そのうち稀代の智謀、万夫不当の勇など、選(よ)りすぐつても四、五十人は数へられませう」
「先生の如き人は?」
「私ごときものは、車に積み、桝(ます)で量るほどゐます」
「いま、曹操の陣容は、どこを攻めるつもりであらうか」
「水陸の両軍は、江に添つて、徐々南進の態勢にあります。呉を図らんとする以外、どこへあの大量な軍勢の向け場がありませうや」
「呉は、戦ふべきか、戦はないがよいか」
「は、は、はゝは」
こゝで孔明は軽く笑つた。
ぽいと、交(かは)されたかたちである。孫権は気がついたものゝごとく、急に慇懃の辞をかさねて、
「——実は、魯粛が先生の徳操を称(たゝ)へること非常なもので、予もまた、久しく御高名を慕うてゐたところなので、ぜひ今日は、金玉の名論に接したいと考へてゐたのです。願はくば、この大事に当つてとるべき呉の大方向を御垂示にあづかりたい」
「愚存を申しあげてもよいと思ひますが、然(しか)しおそらく将軍のお心にはかなひますまい。お用ひなき他説をお聴きになつても、却(かへ)つて迷ふ因(もと)ではありませんか」
「ともあれ拝聴しませう」
「では忌憚(キタン)なく申しあげる。——四海大いに乱るゝの時、家祖、東呉を興したまひ、いまや孫家の隆昌は、曠世(クワウセイ)の偉観といつても過言ではありません。一方、わが劉豫州の君におかれても、草莽より身を起し、義を唱へ、民を救ひ、上江遠からず曹操の大軍と天下をあらそつてゐます。これまた史上未曽有の壮挙にあらずして何でせう。然るに、恨むらくは、兵少く、地利あらず、いま一陣にやぶれて、臣孔明に万恨(バンコン)を託され、江水の縁を頼つて、呉に合流せむことを衷心(チユウシン)希(ねが)つてゐるわけであります。……もし閣下が、偉大なる父兄の創業をうけて、その煌々たるお志をも統(つ)がんと欲するなれば、よろしくわが劉豫州と合(ガツ)して、呉越の兵をおこし、天下(テンカ)分目(わけめ)のこの秋(とき)に臨んで、即時、曹操との国交をお断ちなさい。……又もしそのお志なく、到底、曹操とは天下を争ふほどな資格はないと、御自身、諦めておいでになるなら、なほ他に一計が無きにしもあらずです。それは簡単です」
「戦はずに、しかも国中安穏にすむ、良い計策があるといはるゝか」
「さうです」
「それは」
「降服するのです」
「降服」
「そのお膝をかゞめて、曹操の眼の下に、憐(あは)れを乞へば、これは呉の諸大将が閣下へすゝめてゐる通りになる。甲(よろひ)を脱ぎ、城を捨て、国土を提供して、彼の処分にまかせる以上、曹操とても、さう涙のないことはしないでせう」
「……」
孫権は、黙然と首を垂れてゐた。父母の墳に額(ぬかづ)く以外には、まだ他人へ膝をかゞめたことを知らない孫権である。——孔明はじつとその態(テイ)を見つめてゐた。
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