吉川英治『三国志(新聞連載版)』(646)舌戦(四)
昭和16年(1941)10月25日(土)付掲載(10月24日(金)配達)
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張昭は沈黙した。さしもの彼も心を取(とり)挫(ひし)がれたやうな面持に見えた。
一座やゝ白けたかと見えた時である。突として立つた者がある。会稽郡(クワイケイグン)餘姚(ヨエウ)の人、虞翻(グホン)、字(あざな)は仲翔(チウシヤウ)であつた。
「率直にお訊ねするの不遜をおゆるしありたい。いま操の軍勢百万雄将千員、天下を一呑(イチドン)にせんが如き猛威をふるつてをるが、先生には何の対策か有る。乞ふ、吾々のために聴かせ給へ」
「百万とは号すが、実数は七、八十万といふ所でせう。それも袁紹を攻めては、その北兵を編入し、荊州を併(あは)せては、劉表の旧臣を寄せたもの、いはゆる烏合(ウガフ)の勢です。何怖れるほどなものがありませう」
「あはゝゝ。云はれたりな孔明先生。あなたは新野を自燼(ジジン)し、当陽に惨敗し、危く虎口をのがれたばかりではないか。その口で、曹操如きは怖るゝに足らんといふのは、ちと可笑(おか)しい。耳を掩(おほ)ふて鈴を盗むの類(たぐひ)だ」
「いや、わが劉豫州の君に従ふ者は、少数ながら、悉(こと/゛\)く仁義の兵です。何ぞ、曹操が残暴極まる大敵に当つて、自ら珠を砕くの愚をしませう。——これを呉に較べてみれば、呉は富強にして山川沃地広く、兵馬は逞しく長江の守りは嶮。然るにです、その国政にたづさはる諸卿等は、一身の安きを思うて国恥を念とせず、御主君をして、曹賊の軍門に膝を屈せしめようとして居られるではないか。——その懦弱(ダジヤク)、卑劣、これをわが劉豫州の麾下の行動と較べたら、同日の談ではありますまい」
孔明の面は淡紅(タンコウ)を潮(さ)してゐる。言語は徐々、痛烈になつて来た。
虞翻が口を閉ぢると、すぐ又、一人立つた。淮陰(ワイイン)の歩隲(ホシツ)、字(あざな)は子山(シザン)である。
「孔明——」かう傲然呼びかけて、
「敢(あへ)て訊くが、其許(そこもと)は蘇秦(ソシン)、張儀(チヤウギ)の詭辯(キベン)を学んで、三寸不爛の舌をふるひ、この国へ遊説しにやつて来たのか。それが目的であるか」
孔明は、〔にこ〕と顧みて、
「御辺は蘇秦、張儀を、たゞ辯舌の人とのみ心得てをられるか。蘇秦は六国の印を佩(お)び、張儀は二度まで秦の宰相たりし人、みな社稷を扶け、天下の経営に当つた人物です。さるを、曹操の宣伝や威嚇に乗ぜられて、忽ち主君に降服をすすめるやうな自己の小才を以て推し測り、蘇秦、張儀の類(たぐひ)などゝ軽々しく口にするは寔(まこと)に小人の雑言で、真面目にお答へする価値もない」
一蹴に云ひ退(の)けられて、歩隲が顔を赤らめてしまふと、
「曹操とは、何者か?」
と、唐突に問ふ者があつた。
孔明は、間髪を容れず、
「漢室の賊臣」
と、答へた。
すると、質問した沛郡(ハイグン)の薛綜(セツソウ)は、その解釈が根本的な誤謬(ゴビウ)であると指摘して、
「古人の言にも——天下ハ一人ノ天下ニ非ズ、乃(すなは)チ天下ノ天下デアル——と曰(い)つてをる。故に、堯(ゲウ)も天下を舜(シユン)に譲り、舜は天下を禹(ウ)に譲つてゐる。いま漢室の政命尽き、曹操の実力は天下の三分の二を占むるにいたり、民心も彼に帰せんとしてをる。賊といはゞ、舜も賊、禹も賊、武王、秦王、高祖悉く賊ではないか」
「お黙りなさい!」
孔明は、叱つて云ふ。
「御辺の言は、父母もなく君もない人間でなければ云へないことだ。人と生れながら、忠孝の本(もと)を辨(わきま)へぬはずはあるまい。曹操は相国(シヤウコク)曹参(サウサン)の後胤で、累世四百年も漢室に仕へてその祿を食(は)みながら、いま漢室の衰へるを見るや、その恩を報ぜんとはせず、却(かへ)つて、乱世の奸雄たる本質をあらはして簒虐(サンギヤク)を企む。——思ふに御辺は天数循環の歴史を、現実の一人間の野望に附加して、強(し)ひて理由づけようとしてをられるらしい。さういふ考へ方もまた逆心と云へる。借問(シヤモン)す、貴下は、貴下の主家が衰へたら、曹操のやうに、忽ち主君の孫権をないがしろになされるか」
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