吉川英治『三国志(新聞連載版)』(645)舌戦(三)
昭和16年(1941)10月24日(金)付掲載(10月23日(木)配達)
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一同交々(こも/゛\)の挨拶がすむと、やがて張昭は、孔明に向つて云つた。
「劉豫州が、先生の草廬を三(み)度(たび)まで訪ねて、つひに先生の出廬をうながし、魚(うを)の水を得たるが如し——と歓ばれたといふ噂は、近頃の話題として、世上にも伝へられてゐますが、その後、荊州も奪(と)らず、新野も追はれ、惨めな敗亡をとげられたのは一体どういふわけですか。われ/\の期待は破られ、人みな不審がつてをりますが」
皮肉な質問である。
孔明はじつと眸をその人に向け直した。
張昭は、呉の偉材だ。この人を説服し得ないやうでは、呉の藩論をうごかすことは至難だらう。——そう胸には大事を期しながら、孔明は〔にこやか〕に、
「されば。——もしわが君劉豫州が荊州を奪らうとなされば、それは掌(てのひら)を反(かへ)すより易(たやす)いことであつたでせう。けれど君と故劉表とは同宗の親(シン)、その国の不幸に乗つて、領地を横奪(ワウダツ)するがごとき不信は、餘人は知らず、わが仁君玄徳にはよく為(な)さりません」
「これは異なことを承はる。それでは先生の言行に相違があるといふものだ」
「なぜですか」
「先生はみづから常に自分を春秋の管仲、楽毅に比してゐたさうですが、古(いにしへ)の英雄が志は、天下万民の害を除くにあり、その為には、小義私情を捨てゝ大義公徳に拠り、良く覇業統一を成しとげたものと存ずるが——いま劉豫州をたすけて、今日の管仲たり楽毅たらんと任ずるあなたが、出廬たちまち前後の事情や私心にとらはれ、曹操の軍に遭うては、甲(よろひ)を投げ矛(ほこ)をすてゝ、僻地へ敗走してしまふなど、どう贔屓目(ひいきめ)に見てもあまり立派な図とは思はれぬが」
「はゝゝゝ」
孔明は昂然と笑つて、
「いや、あなた方のお眼に、さう映るのは無理もありません。大鵬(タイホウ)といふ鳥がある。よく万里を翔破します。しかし大鵬の志は燕雀の知る限りではない。古人も曰(い)つてゐる——善人ガ邦(くに)ヲ治メルニハ百年ヲ期シテ良ク残(ザン)ニ克(か)チ殺(サツ)ヲ去ツテ為ス——と。たとへば重い病人を治すには、まづ粥(かゆ)を与へ、和(やはら)かな薬餌(ヤクジ)から始める。そして臓腑血気の調(とゝの)ふのを待つて、徐々、強食をすゝめ、精薬を以てその病根を斬る。——これを逆にして、気脈もとゝのはぬ重態に、いきなり肉食猛薬を与へたら、病人の生命はどうなりませう。いま天下の大乱は、重病者の気脈のごとく、万民の窮状は、瀕死の者の気息にも似てゐる。これを医し癒(いや)さんに、何で短兵急にまゐらうか。——しかも天下の医たるわが劉豫州の君には、汝南の戦にやぶれ、新野の僻地に屈(かゞ)み、城郭(ジヤウクワク)堅(かた)からず、甲兵(カフヘイ)完(まつた)からず、粮草なほ乏(とび)しき間(ま)に、曹操が百万の強襲をうけ給ふ。これに当るはみづから死を求めるのみ。これを避けるは兵家の常道であり、また百年の大志を後に期し給ふからである。——とはいへ、白河(ハクカ)の激水に、夏侯惇、曹仁の輩(ともがら)を奔流の計に弄び、博望の谿間(たにま)にその先鋒を焼き爛(たゞら)し、わが軍としては、退(ひ)くも堂々、決して醜い潰走はしてゐません。——たゞ当陽の野に於(おい)ては、惨(みじ)めなる離散を一時体験しましたが、これとて、新野の百姓(ヒヤクシヤウ)老幼数万のものが、君の徳を慕ひまゐらせ、陸続ついて来た為に——一日の行程わづか十里、つひに江陵に入ることができなかつた結果です。それもまた主君玄徳の仁愛を証するもので、恥なき敗戦とは意義が違ふ。むかし楚(ソ)の項羽(カウウ)は戦ふごとに勝ちながら、垓下(ガイカ)の一敗に仆(たふ)るゝや、高祖に亡(ほろぼ)されてゐるでせう。韓信は高祖に仕へ、戦へど戦へど、殆(ほとん)ど、勝つた例(ためし)のない大将であるが、最後の勝利は、つひに高祖のものとしたではありませんか。これ、大計といふもので、いたづらに晴の場所で雄辯を誇り、局部的な勝敗をとつて功を論じ、社稷(シヤシヨク)百年の計を、坐議立談するが如き軽輩な人では、よく解することは出来ますまい」
ことばこそ爽(さはや)かなれ、面(おもて)こそ静かなれ、彼の態度は、微塵の卑下も卑屈もなかつた。
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