吉川英治『三国志(新聞連載版)』(643)舌戦(一)
昭和16年(1941)10月22日(水)付掲載(10月21日(火)配達)
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長江千里、夜が明けても日が暮れても、江岸の風景は何の変化もない。水は黄色く、ただ滔々(タウ/\)淙々(ソウ/\)と舷(ふなべり)を洗ふ音のみ耳につく。
船は夜昼なく、呉の北端、柴桑郡をさして下つてゐる。——その途中、魯粛はひそかにかう考へた。
「痩せても枯れても、玄徳は一方の勢力にちがひない。その軍師たり宰相たる重職にある孔明が、身に一兵も伴はず、まつたくの単身で、呉へ行くといふ意気は蓋(けだ)し容易な覚悟ではない。——察するに孔明は一死を胸にちかひ、得意の辯舌をもつて、呉を説かんとする秘策をもつてゐるものであらう」
同船して、幾日かの旅を共にしてゐるうち、彼は悲壮なる孔明の心事に同情をよせてゐた。けれど又、
「もし、孔明に説かれて、主君孫権が玄徳のために曹操と戦ふやうな場合に立ち到るときは——勝てばよいが、負けたらその罪は?」
と、責任が自分に帰してくることをも、多分に惧れずにゐられなかつた。
で、魯粛は、船窓の閑談中に、それとなく孔明に入れ智慧を試みたりした。
「先生。——先生が孫権とお会ひになつたら、かならずいろ/\な質問が出ませうが、曹軍の内容については、何事も知らぬ態(テイ)をしてをられた方が得策かも知れませんな」
「どうして?」
孔明は、魯粛の肚を読みぬいてゐるやうに、にや/\笑つてゐた。
「いや、どうといつて、べつに深い理由はありませんが、餘り詳しいことを述べると、さう敵の内容を審(つまび)らかに知つてゐるわけはないから、曹操と同腹して、呉を探りに来たのではないか——などと疑はれる惧(おそ)れもありますからな」
「はゝゝ。そんなお人ですか、孫将軍は」
魯粛は却(かへ)つて赤面した。到底他人の入れ智慧などにうごかされる人物ではないと観て、魯粛もその後は口を慎んだ。
やがて船は潯陽江(ジンヤウカウ)(九江)の入江に入り、そこから陸路、西南に鄱陽湖を望みながら騎旅をすゝめた。
そして柴桑城街につくと、魯粛は孔明の身をひとまづ客館へ案内して、自身はたゞちに城へ登つた。
府堂のうちでは折しも文武の百官が集まつて、大会議中のところだつた。魯粛帰れり!とそこへ聞えたので孫権は、
「すぐ、これへ」
と、呼び入れて、彼にも当然、一つの席が与へられた。
孫権は、さつそく訊ねた。
「荊州の形勢はどうだつた?」
「よく分りません」
「なに、分らぬ。——遙々(はる/゛\)、江を遡(さかのぼ)つて、その地を通過しながら、何も見て来なかつたのか」
「いさゝか、所感がないでもありませんが、それがしの視察は別に御報告申しあげます」
「むゝ……さうか」
と、孫権も敢て追求しなかつた。そして手許にあつた檄文の一通を、
「これ見よ」
といつて、魯粛へ渡した。
曹操からの「最後通牒」である。われに降(くだ)つて共に江夏の玄徳を討つや。それとも、わが百万の大軍と相まみえて、呉国を強ひて滅亡へ導くつもりなりや否や、即刻、回報あるべし——といふ強硬なる半面威嚇、半面懐柔の檄文だつた。
「このための御評議中でございましたか」
「さうだ。——早朝から今にゐたるまで」
「して、諸員の御意見は」
「いまなほ、決しないが——満座の大半以上は、戦はぬがいゝといふことに傾いてをる」
さう云つて、孫権がふたゝび沈吟すると、張昭そのほかの重臣は皆、口を揃へて、
「もし、呉の六郡と、呉の繁栄とを安穏に保ち、いよ/\富強安民を計らんとするなれば、こゝは曹操に降(くだ)つて、彼の百万の鋭鋒を避け、他日を期すしかありません」
と、不戦論を唱へた。
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次回 → 舌戦(二)(2025年10月22日(水)18時配信)

