吉川英治『三国志(新聞連載版)』(638)長坂橋(四)
昭和16年(1941)10月15日(水)付掲載(10月14日(火)配達)
ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 長坂橋(三)
***************************************
張飛は動じる態(テイ)もなかつた。
却(かへ)つて、全身に焰々(エン/\)の闘志を燃し、炬の如き眼(まなこ)を爛(ラン)と射向けて
「それへ来たものは、敵の総帥たる曹操ではないか。われこそは、劉皇叔の義弟(をとゝ)(ママ)、燕人張飛である。すみやかに寄つて、いさぎよく勝負を決しろ」
と、呼ばはつた。
声は長坂の水に谺(こだま)し、殺気は落ちかゝる雷(いかづち)のやうであつた。その凄(すさま)じさに、曹操の周囲を守つてゐた者共は、思はず傘蓋(サンガイ)を取(とり)落したり、白旄(ハクバウ)黄鉞(クワウヱツ)などの儀容を崩して、呀(あ)ツとふるへ顫(をのゝ)いた。
いや、その雷圧は、曹軍数万の上にも見られた。濤(なみ)のやうな恐怖の〔うねり〕が動いたあと全軍ことごとく色を失つたかのやうであつた。
躁(さわ)ぎ立つ諸将を顧みながら曹操は云つた。
「今思ひ出した。そのむかし関羽がわれに云つた言葉を。——自分の義弟(をとゝ)(ママ)に張飛といふものがある。張飛にくらべれば自分の如きは云ふに足らん。彼がひとたび怒(いか)つて百万の軍中に駆け入るときは、大将の首を取ることも嚢(ふくろ)の中の物をさぐつて取り出すやうなものだ——予にさう云つたことがある。さだめし汝等も張飛の名は聞いてゐたらう。いや怖(おそろ)しい猛者(もさ)ではある!」
さう云つて、驚嘆してゐる傍らから、突然、夏侯覇(カコウハ)といふ一大将が、
「何をば左様に恐れ給ふか。曹軍の麾下(キカ)にも張飛以上の者あることを、今ぞ確(しか)と御覧あれ」
と喚(をめ)きながら、馬の蹄をあげて、だゞゞゞつと、橋板を踏み鳴らして、張飛のそばへ迫りかけた。張飛は刮(くわ)つと口をあいて、
「孺子(ジユシ)つ。来たかつ」
蛇矛(ダボウ)横に揮つて一颯の雷光を宙にゑがいた。
夏侯覇は、とたんに胆魂(きもだましひ)を消しとばして、馬上からころげ落ちた。その有様を見ると、数十万の兵はなほ動揺した。曹操も士気の乱れを察し、にはかに諸軍へ、
「退けつ」
と、令して引つ返した。
退(ひ)け——と聞くや軍兵はみな山の崩れるやうに先を争ひ合つた。ふしぎな心理がいやが上にも味方同士を混乱に突き陥(おと)してゆく。誰の背後にも張飛の形相が追ひ駆けて来るやうな気がしてゐた。鉾を捨て、鎗(やり)を投げ、或(あるい)は馬に踏みつぶされ、阿鼻叫喚が阿鼻叫喚を作つてゆく。
さうなると、実際、収拾はつかないものとみえる。曹操自身すら、その渦中に巻きこまれ、馬は狂ひに狂ふし、冠の釵(かんざし)は飛ばすし、髪はみだれ、旗下(はたもと)共は後先になり、いやもう散々な態(テイ)であつた。
漸く、追ひついて来た張遼が、彼の馬の口輪をつかみ止めて、
「これは一体、どうしたといふ事です。多寡がたゞ一人の敵にこれほど迄(まで)、狼狽なさる必要はありますまいに」
と、歯がみをしながら云つた。
曹操は初めて、夢の覚めたやうな顔して、全軍の立て直しを命じた。そしてやゝ間が悪さうに、
「予が怖れたのは決して一人の張飛ではない。橋の彼方の林中に敵の埋兵(マイヘイ)がたえず騒(ざわ)めいてゐたので、また何か孔明が策を設けてゐるのではないかと、けふは大事を取つて退却を命じたまでだ」
と、云つた。
その時、彼の〔てれ〕隠しを救ふにちやうどよい煙が揚つた。敵は長坂橋を焼き払つて退(ひ)いたといふのである。さう聞くと曹操は
「橋を焼いて逃げるやうでは、やはり大した兵力は残つてゐないに相違ない。しまつた、すぐ三ケ所に橋を架け、玄徳を追ひつめろ」
と、号令を革(あらた)めた。
玄徳主従とその残兵は、初め江陵へさして落ちて来たのであるが、こんな事情でその方角へは到底出られなくなつたので、にはかに道を変更して、沔陽(ベンヤウ)から漢津(カンシン)へ出ようと、夜も昼も逃げつゞけてゐた。
***************************************
次回 → 一帆(いつぱん)呉へ下る(一)(2025年10月14日(火)18時配信)

