吉川英治『三国志(新聞連載版)』(637)長坂橋(三)
昭和16年(1941)10月14日(火)付掲載(10月13日(月)配達)
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曹操は景山を降りた。
旗や馬幟(うまじるし)の激流は、雲が谿間(たにま)を出るやうに、銅鑼(ドラ)金鼓(キンコ)に脚を早め、たちまち野へ展(ひろ)がつた。
そのほか。
曹仁、李典、夏侯惇(カコウジユン)、楽進、張遼、許褚、張郃——などの陣々騎歩もすべてその方向を一にして、長坂坡へ迫つて来た。
「趙雲の逃げて行つた方角こそ、すなはち玄徳のゐる所にちがひない」と、それに向つて、最後の殲滅を加へ、存分な戦果を捕捉すべく、こゝに全軍の力点が集中されたものらしい。
すると彼方から文聘とその手勢が、さん/゛\な態(テイ)になつて逃げ乱れて来た。仔細を問ふと、
「長坂橋の畔(ほとり)まで、趙雲を追ひかけて行つたところ、敵の張飛といふ者が、たゞ一騎で加勢に駆けつけ、丈八の蛇矛をもつて、八面六臂(ハチメンロツピ)にふせぎ立て、つひに趙雲をとり逃がしたばかりか、味方の勢もかくの如き有様——」
と、いふ文聘の話に、許褚、楽進、張郃などみな歯がみをして、
「さりとは腑がひなき味方の弱腰。いかに張飛に天魔鬼神の勇があらうと、この大軍と丞相の威光を負ひながら、追ひ崩されて帰るとは何事だ。いで、われこそ彼奴(きやつ)を——」
と、諸将は争つて、橋のこなたまで殺到した。
そこの一橋こそ、河を隔てた敗敵にとつては、恃(たの)みの一線である。いかにこゝを防がんかと、さだめし犇(ひし)めき合つてゐるであらうと豫想して来てみると——こは抑(そも)いかに、楊柳は風もなく垂れ、水は淙々(ソウ/\)と奏で、陽ざしもいと麗(うらゝ)かな長橋の上に、たゞ一騎の人影が、ぽつねんと、そこを守つてゐるきりだつた。
「——はてな?」
疑ひながら、諸将は駒脚をなだめて、徐々(ジヨ/\)と橋口へ近づいて行つた。——見れば、丈八の矛(ほこ)を横たへ、盔(かぶと)を脱いで鞍に掛け、馬足(バソク)を確乎(しつか)と踏み揃へた大武者が、物も云はず、動きもせず、くわつと、睨みつけてゐた。
「呀(あ)つ、張飛だ」
「張飛」
思はず口々を洩れる声に——馬は怖れをなしたか、たじ/\と、蹄(つめ)を立てゝ後へ退(さが)つた。
「……」
張飛はなほ一語も発しない。双(サウ)の眼(まなこ)は百錬の鏡といふもおろかである。怒れる鬼髯(キゼン)は左右にわかれ、歯は大きな唇(くち)を嚙み、眉、眦(まなじり)、髪のさき、すべて逆しまに立つて、天も衝かん形相である。
「あれか、燕人(エンジン)張飛とは」
「知れたもの。いかに張飛であらうと」
「敵は一騎だ」
「それつ」
と、諸将は互ひに励ましあつて、あわや〔どつ〕と、その馬蹄を踏み揃へて橋板へかゝらうとしたとき、
「待てつ」
と、うしろで止めた者がある。一人の声ではない。李典、曹仁、夏侯惇など、こと/゛\く軍勢の中に揉まれて、その中に雄姿を見せてゐた。
「丞相の御命令だ。待てつ。逸(はや)まるなつ——」
続いて後のはうに聞える。諸将はさつと橋畔の左右へ道を開ゐた。だう/\と押し流れて来る軍馬も旗もみな橋口を餘して河の岸を埋めた。
やがて、中央の一軍団は林のやうな旄旗(バウキ)と五彩幡(ゴサイバン)をすゝめて来た。中にも白旄(ハクバウ)黄鉞(クワウヱツ)の燦々(さん/\)たる親衛兵にかこまれてゐる白馬金鞍の大将こそ、すなはち曹操その人であらう、青羅(セイラ)の傘蓋(サンガイ)は珠玉の冠(かんむり)のうへに高々と揺らいで、威風天地の色を奪ふばかりだつた。
「うかと、孔明の計にのるな、橋上の匹夫は敵の囮(おとり)だ。対岸の林には兵がかくしてあるぞ」
と、曹操はまづ、逸(はや)りたつ諸将を制してから、刮(くわ)つと、張飛をねめつけた。
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