吉川英治『三国志(新聞連載版)』(636)長坂橋(二)
昭和16年(1941)10月12日(日)付掲載(10月11日(土)配達)
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「救へつ、救へつ張飛。おれを助けろつ——」
さすがの趙雲も、声をあげて、橋の方へ絶叫した。
馬は弱り果てゝゐるし、身は綿のやうに疲れてゐる。しかも今、その図に乗つて、強襲して来たのは、曹軍の驍将(ゲウシヤウ)文聘と麾下(キカ)の猛兵だつた。
長坂橋の上から、小手をかざして見てゐた張飛は、月に嘯(うそぶ)いてゐた猛虎が餌を見て岩頭から跳び降りて来るやうに、
「ようしつ!心得た」
そこに姿が消えたかと思ふと、はや莫々(バク/\)たる砂塵一陣、駆けつけて来るや否、
「趙雲々々。あとは引受けた。貴様はすこしも早く、あの橋を渡れつ」
と、吠えた。
忽ち修羅と変るそこの血けむりを後にして、趙雲は、
「たのむ」
と一声、疲れた馬を励まし/\、長坂橋を渡りこえて、玄徳の憩(やす)んでゐる森陰までやつと駆けて来た。
「おうつ、これに——」
と、趙雲は、味方の人々を見ると、馬の背から〔どたつ〕と辷(すべ)り落ちて、その惨澹たる血みどろな姿を大地に〔べた〕と伏せた儘(まゝ)、まるで暴風(あらし)のやうな大息を肩でついてゐるばかりだつた。
「オつ、趙雲ではないか。——して、その懷に抱へてゐるのは何か」
「阿斗公子です……」
「なに、わが子か」
「おゆるし下さい。……面目次第もありません」
「何を詫(わび)るぞ。さては、阿斗は途中で息が絶えたか」
「いや……。公子のお身はおつゝがありません。初めのほどは火のつくやうに泣き叫んでをられましたが、もう泣くお力もなくなつたものとみえまする。……たゞ残念なのは糜夫人の御最期です。身に深傷(ふかで)を負うて、お歩きもできないので、それがしの馬をおすゝめ申しましたが、否とよ、和子を護つて賜(たも)れと、ひと声、仰せられながら、古井戸に身を投げてお果て遊ばしました」
「あゝ、阿斗に代つて、糜は死んだか」
「井には、枯れ草や墻(かき)を投げ入れて、御死骸を隠して参りました。その母の御霊(みたま)が公子を護つて下されたのでせう、それがしたゞ一騎、公子を懷に抱き参らせ、敵の重囲を駆け破つて帰りましたが、これこのとほりに……」
と、甲(よろひ)の胸当を解いて示すと、阿斗は無心に寝入つてゐて、趙雲の手から父玄徳の両手へ渡されたのも知らずにゐた。
玄徳は思はず頰〔ずり〕した。あはれよくもこの珠の如きものに矢瘡(やきず)ひとつ受けずにと……われを忘れて見入りかけたが、何思つたか、
「えゝ、誰なと拾へ」
と云ひながら、阿斗の体を、毱(まり)のやうに草むらへ抛(はふ)り投げた。
「あつ、何故に?」
と、趙雲も諸大将も、玄徳のこころを測りかねて、泣きさけぶ公子を、大地からあわてゝ抱き取つた。
「うるさい、彼(あ)つ方(ち)へ連れて行け」
玄徳は云つた。
更にまた云つた。
「思ふに、趙雲のごとき股肱の臣は、又とこの世で得られるものではない。それをこの一小児のために、危(あやふ)く戦死させるところであつた。一子はまた生むも得られるが、良き国将は又と得難い。……それにこゝは戦場である。凡児の泣き声はなほさら凡父の気を弱めていかん。故に抛(はふ)り捨てたまでのことだ。諸将よ、わしの心を怪しんでくれるな」
「……」
趙雲は、地に額(ひたひ)をすりつけた。越えて来た百難の苦も忘れて、この君の為には死んでもいゝと胸に誓ひ直した。原書三国志の辞句を借りれば、この勇将が涙をながして、
(肝脳(カンナウ)地ニマミルトモ、コノ御恩ハ報ジ難シ)
と、再拝して諸人の中へ退(さ)がつたと誌(しる)してある。
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