吉川英治『三国志(新聞連載版)』(616)許都と荊州(二)
昭和16年(1941)9月18日(木)付掲載(9月17日(水)配達)
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些細なことを捉へて、棒ほどに訴へる。
そして、主(シユ)たる位置にある人の誇りと弱点につけこむ。
讒者(ザンシヤ)の通有手段である。
そんな小人の舌に乗せられるほど曹操は甘い主君では決してない。けれど、どんな人物でも、大きな組織のうへに君臨していはゆる王者の心理となると、立志時代の克己や反省も薄らいでくるものとみえる。人間通有の凡小な感情は、抑へてのない儘(まゝ)、却(かへ)つて普通人以上、露骨に出てくる。
無能な小人輩(セウジンハイ)は、甘言と佞智(ネイチ)を弄すことを、職務のやうに努めはじめる。曹操のまはりには、つねに苦諫(クカン)を呈して、彼の弱点を輔佐する荀彧のやうな良臣もゐたが、その反対も当然多い。
「どうも孔融は、丞相にたいして、お怨みを抱(いだ)いてゐるやうです。……昨夕も退庁の際、ひとり言に、不仁ヲ以テ仁ヲ伐ツ、敗レザラン乎(ヤ)——などゝ罵つて帰りましたし、日頃の言行に照らしても、不審の〔かど〕がいくらもありますし」
讒者は、辯をふるつて、日頃から胸にたゝんでおいた材料を、舌にまかせて並べたてた。
「——いつでしたか、丞相が禁酒の法令を発しられましたときも、孔融は笑つて、天に酒旗の星あり、地に酒郡あり、人に喜泉(キセン)なくして、世に何の歓声あらん。民に酒を禁じるほどなら、今に婚姻も禁じるであらう、などゝ途方もない暴説を吐いてをりましたし」
「…………」
「又。あの孔融はですね。ずつと以前ですが、朝廷の御宴(ギヨエン)の折、赤裸になつて丞相を辱しめた禰衡(ネイカウ)——あの奇舌学人とは——古くから親交がありまして、禰衡にあんな悪戯(わるさ)をさせたのも、後で聞けば、孔融の入れ智慧だつたといふことです」
「…………」
「いえ、まだ/\、それのみではありません。彼は荊州の劉表とは、ずゐぶん以前から音信を交(かは)してをります。また玄徳とは、わけても昵懇(ジツコン)と聞いてをります故、この辺の虚実は彼の邸(やしき)を、突然襲つて家探ししてごらんになれば、きつと意外な證拠が現れるのではないかと思はれます。——明日、荊州へ御発向の前に、ぜひその一事は、明(あきら)かに調べて御出陣ありますやうに」
「…………」
かなり長いあひだ喋舌(しやべ)らせておいた。曹操は一語も発せずにゐたが、非常にいやな顔つきをしてゐた。そして聞くだけ聞き終るといきなり、
「うるさい。あつちへ行け」
と、顎(あご)をあげて、蠅のやうに、その家臣を目さきから追ひ払つた。
さすがに、讒者の肚(はら)を、観破したのかと思ふと、さうでもない。いや、その反対だつたのである。
たちまち廷尉(テイヰ)を呼んで、
「すぐ行け」
と、何かいひつけた。
廷尉は、一隊の武士と捕吏をひきつれ、不意に孔融の邸(やしき)を襲つた。
孔融は、何の抵抗をするまもなく、召捕られた。
召使のひとりが奥へ走つて、
「たツ、大変ですつ。御父君(おちゝぎみ)にはいま、廷尉に捕縛されて、市へひかれて行きました!」
と、そこに居る孔融の息子たちへ、哭き声で知らせた。
二人の息子は、碁を囲んで遊んでゐたが、すこしも驚かず、
「——巣スデニ破レテ、卵ノ破レザルモノアラン乎(カ)」
と、なほ二手(ふたて)三手(みて)さしてゐた。
勿論、たちまち踏みこんで来た捕吏や武士の手にかゝつて、兄弟とも斬られてしまつた。
邸(やしき)は炎とされ、父子一族の首は市に梟(か)けられた。
荀彧は、後で知つて、
「どうも、困つたものです」
と、苦々しげに云つたきりで、いつもの如く、曹操へ諫言はしなかつた。諫言も間に合はないし、また無言で居るのも、一つの諫言になるからであらう。
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