吉川英治『三国志(新聞連載版)』(613)臨戦第一課(五)
昭和16年(1941)9月14日(日)付掲載(9月13日(土)配達)
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いつか陽(ひ)は没して、霧のやうな蒸雲のうへに、月の光が幽(かす)かだつた。
「おうーいつ、于禁。おういつ——暫く待て」
うしろで呼ばはる声に、馬に鞭打つて先へ急いでゐた于禁は、
「李典か。何事だ」
と、大汗を拭いながら振向いた。
李典も、喘(あへ)ぎ/\、追ひついて来て、
「夏侯都督には、如何(いかゞ)なされたか」
「気早の御大将、何かは猶豫のあるべき。悍馬(カンバ)にまかせて真つ先に進まれ、もうわれ等は二里の餘もうしろに捨てられてゐる」
「危ふいぞ。図に乗つては」
「どうして」
「餘りに盲進しすぎる」
「蹴ちらすに足らぬ敵勢、かう進路の捗(はか)どるのは、味方の強いばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、恟々(びく/\)するのか」
「いや、恟々はせぬが、兵法の初学にも——難道行クニ従ツテ狭ク、山川相迫ツテ草木ノ茂レルハ、敵ニ火計アリトシテ備フベシ——。ふと、それを今、こゝで思ひ出したのだ」
「むむ。さう云はれてみると、この辺の地勢は……それに当つてゐる」
と、于禁も急に足を竦(すく)めた。
彼は、多くの兵を、押しとゞめて、李典に云つた。
「御辺はこゝに、後陣を固め、しばらく四方に備へて居給へ。……どうも少し地勢が怪しい。拙者は大将に追ひついて、自重するやう報じて来る」
于禁は、ひとり馬を飛ばし、漸く夏侯惇に追ひついた。そして李典のことばをその儘(まゝ)伝へると、彼も遽(にはか)に覚つたものか、
「しまつたつ。少し深入りしたかたちがある。なぜもつと早く云はなかつたのだ」
そのとき——一陣の殺気といふか、兵気といふものか、多年、戦場を往来してゐる夏侯惇なので、何か、〔ぞく〕と総身の毛〔あな〕のよだつやうなものに襲はれた。
「——それつ、引つ返せ」
馬を立て直してゐるまもない。四山の沢〔べり〕や峰の樹陰(こかげ)々々に、チラチラと火の粉が光つた。
すると、たちまち真つ黒な狂風を誘つて、火は万山の梢(こずゑ)に這(は)ひ、渓(たに)の水は銅(あかゞね)のやうに沸き立つた。
「伏兵だつ」
「火攻め!」
と、道にうろたへ出した人馬が、互ひに踏み合ひ転(こ)けあつて、阿鼻叫喚をあげてゐたときは、すでに天地は喊(とき)の声に塞がり、四面金鼓のひゞきに満ちてゐた。
「夏侯惇は、いづれにあるか。昼の大言は、置き忘れて来たか」
趙雲子龍の声がする。
さしもの夏侯惇も、渓川(たにがは)に墜ちて死ぬものやら、馬に踏まれて落命するなど、夥(おびたゞ)しい味方の死傷を見ては、ひつ返して、趙雲に出会ふ勇気もなかつたらしい。
「馬に頼るな。馬を捨てゝ、水に従つて逃げ落ちよ」
と、味方に教へながら、自身も徒歩(かち)となつて、身一つを遁(のが)れ出すのが漸くであつた。
後陣にゐた李典は、
「さてこそ」
と、前方の火光を見て、急に救ひに出ようとしたが、突如、前に関羽の一軍があつて道をふさぎ、退いて、博望坡の兵糧隊を守らうとすれば、そこにはすでに、玄徳の麾下(キカ)張飛が迫つて、輜重をことごとく焼き払つたあげく、
「火の網の中にある敵、一匹ものがすな」
と、後方から挟撃して来た。
討たるゝ者、焼け死ぬ者、数知れなかつた。夏侯惇、于禁、李典などの諸将は輜重の車まで焼かれたのをながめて、
「もう、いかん」
と、峰越しに逃げのびたが、夏侯蘭は張飛に出会つて、その首を搔(か)かれ、護軍韓浩は、炎の林に追ひこまれて、全身、大火傷(おほやけど)を負つてしまつた。
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なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

