吉川英治『三国志(新聞連載版)』(610)臨戦第一課(二)
昭和16年(1941)9月11日(木)付掲載(9月10日(水)配達)
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一方。新野の内部には、孔明がそこに迎へられて来てから、ちよつと、おもしろくない空気が醸されてゐた。
「若輩の孔明を、譜代の臣の上席にすゑ、それに師礼を執らるゝのみか、主君には、彼と起居を共にし、寝ては牀(シヤウ)を同じうして睦(むつ)み、起きては卓を一つにして箸を取つてをるなど、御寵用(ごチヨウヨウ)も度が過ぎる」
といふ一般の嫉視であつた。
関羽、張飛の二人も、心のうちで喜ばないふうが、顔にも見えてゐたし、或る時は、玄徳へ向つて、無遠慮にその不平を鳴らしたこともある。
「いつたいあの孔明に、どれほどな才があるのですか。家兄(このかみ)には少し人に惚れ込み過ぎる癖がありはしませんか」
「否、否」
玄徳は、〔ふつくら〕と笑ひをふくんで、
「わしが、孔明を得たことは、魚(うを)が水を得たやうなものだ」
と、云つた。
張飛は、不快極まる如き顔をして、その後は、孔明のすがたを見かけると、
「水が来た。水が流れてゆく」
などゝ嘲つた。
まことに、孔明は水の如くであつた。城中に居ても、居るのか居ないのか分らない、常に物静かである。
或る時、彼はふと、玄徳の結髪を見て、その静かな眉をひそめ、
「何ですか、それは」
と、訊ねた。
玄徳には一種の容態を飾(つく)る好みがあるらしい。よく珍しい物で帽(ボウ)を結ひ、珠をかざる癖があるので、それを咎めたらしいのである。
「これか。……これは犁牛(リギウ)の尾だよ。たいへん珍しい物ださうだ。襄陽のさる富豪から贈つてよこしたので、帽にして結はせてみた。をかしいかな」
「よくお似合ひになります。——が、悲しいではありませんか」
「なぜ」
「婦女子の如く、容姿の好みを遊ばして、それが何となりますか。君には大志がない證(しるし)です」
孔明がやゝ色をなしてさう詰問(なじ)ると、玄徳はいきなり犁牛の帽を抛(なげう)つて、
「何で、本心でこんな真似をしよう。一時の憂(う)さを忘れるために過ぎぬ」
と、彼も顔容を正した。
孔明は、なほ云つた。
「君と劉表とを比べてみたら何(ど)うでせう?」
「自分は劉表に及ばない」
「曹操と比べては」
「及ばぬこと更に遠い」
「すでに、わが君には、この二人にも及ばないのに、こゝに抱へてゐる兵力はわづか数千に過ぎますまい。もし曹操が、明日にでも攻めて来たら、何をもつて防ぎますか」
「……それ故に、わしは常に憂ひてをる」
「憂ひは単なる憂ひにとゞめてゐては何もなりません。実策を講じなければ」
「乞ふ、善策を示したまへ」
「明日(ミヤウニチ)から、かゝりませう」
孔明はかねてから新野の戸籍簿を作つて、百姓の壮丁(サウテイ)を徴募しておいた。城兵数千のほかに、農兵隊の組織を計画してゐたのである。
次の日から、彼はみづから教官となつて、三千餘人の農民兵を調練しはじめた。歩走(ホソウ)、飛伏(ヒフク)、一進一退、陣法の節を教へ、克己の精神をたゝき込み、刺撃、用剣の術まで、習はせた。
ふた月も経つと、三千の農兵は、よく節を守り、孔明の手足のごとく動くやうになつた。
かゝる折に、果(はた)して、夏侯惇を大将とする十万の兵が、新野討滅を名として、南下して来るとの沙汰が聞えて来たのである。
「十万の大兵とある。如何にして防ぐがよいか」
玄徳は恐怖して、関羽、張飛のふたりへ洩(もら)した。すると張飛は、
「たいへんな野火(のび)ですな。水を向けて消したらいゝでせう」
と、こんな時とばかり、苦々しげに面(つら)当てを云つた。
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