吉川英治『三国志(新聞連載版)』(605)蜂と世子(せいし)(二)
昭和16年(1941)9月5日(金)付掲載(9月4日(木)配達)
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凱旋の直後、孫権は父兄の墳墓(つか)へ詣つて、こんどの勝軍(かちいくさ)を報告した。
そして功臣と共に、その後で宴を張つてゐると、
「折入つて、お願ひがあります」
と、甘寧が、彼の足もとに、ひざまづいた。
「改まつて、何だ?」
と、孫権が訊くと、
「てまへの寸功に恩賞を賜はる代(かは)りとして、蘇飛の一命をお助けください。もし以前に、蘇飛がてまへを助けてくれなかつたら、今日、てまへの功はおろか一命もなかつたところです」
と、頓首して、訴へた。
孫権も考へた。——もし蘇飛がその仁をしてゐなかつたら、今日の呉の大勝もなかつたわけだと。
しかし、彼は首を振つた。
「蘇飛を助けたら、蘇飛はまた逃げて、呉へ仇(あだ)をするだらう」
「いえ、決して、そんなことはさせません。この甘寧の首に誓つて」
「きつとか」
「どんな誓言でも立てさせます」
「では……汝に免じて」
と、つひに蘇飛の一命はゆるすと云つた。
それに従つて、甘寧の手引きした呂蒙にも、この廉(かど)で恩賞があつた。以後——横野中郎将(ワウヤチウラウシヤウ)と称(とな)ふべしといふ沙汰である。
するとたちまち、かういふ歓宴の和気を破つて、
「おのれツ、動くな」
と怒号しながら、剣を払つて、席の一方から甘寧へ跳びかゝつてきた者がある。
「あつ、何をするかつ」
叱咤しつゝ、甘寧も仰天して、前なる卓を取るやいな、さそくに相手の剣を受けて、立ち対(むか)つた。
「ひかへろつ!凌統つ」
急場なので、左右に命じてゐる遑(いとま)もない。孫権自身、狼藉者(ラウゼキもの)をうしろから抱きとめて叱りつけた。
この乱暴者は、呉郡(ゴグン)餘杭(ヨカウ)の人で、凌統(リヨウトウ)字(あざな)を公績(コウセキ)といふ青年だつた。
去(い)ぬる建安八年の戦ひに、父の凌操は、黄祖を攻めに行つて、大功をたてたが、その頃まだ黄祖の手についてゐたこの甘寧のために、口惜しくも、彼の父は射殺されてゐた。
そのとき凌統は、まだ十五歳の初陣(うひヂン)だつたが、いつかはその怨みをすゝがうものと、以来悲胆をなだめ、血涙を嚥(の)み、日ごろ胸に誓つてゐたものである。
彼の心事を聞いて、
「そちの狼藉を咎めまい。孝子の情に免じて、こゝの無礼はゆるしおく。——然(しか)し家中一藩、ひとつ主をいたゞく者は、すべて兄弟も同様でないか。甘寧がむかしそちの父を討つたのは、当時仕へてゐた主君に対して忠勤を尽したことにほかならない。今、黄祖は亡び、甘寧は、呉に服して、家中の端に加はる以上——何で旧怨をさしはさむ理由があらう。そちの孝心は感じ入るが、私怨に執着するは、孝のみ知つて、忠の大道を知らぬものだ。……この孫権に免じて、一切のうらみは忘れてくれい」
主君から諭されると、凌統は剣を置いて、床に俯(うつ)伏(ぶ)し、
「わかりました。……けれど、お察し下さい。幼少から君の御恩を受けたことも忘れはしませんが……父を奪はれた悲嘆の子の胸を。またその殺した人間を、眼の前に見てゐる胸中を」
頭(かしら)を叩き、額から血をながして、凌統は慟哭してやまなかつた。
「予にまかせろ」
孫権は、諸将と共に、彼をなぐさめるに骨を折つた。——凌統はことしまだ二十一の若年ながら、父に従つて江夏へ赴いた初陣以来、その勇名は赫々たるものがある。その人と為(な)りを、孫権も愛(め)で惜(をし)むのであつた。
後。
凌統には、承烈都尉(ジヨウレツトヰ)の封(フウ)を与へ、甘寧には兵船百隻に、江兵五千人をあづけ、夏口(カコウ)の守りに赴かせた。
凌統の宿怨を、自然に、忘れさせるためである。
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