吉川英治『三国志(新聞連載版)』(603)鈴音(れいおん)(四)
昭和16年(1941)9月3日(水)付掲載(9月2日(火)配達)
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鴻(コウ)はみだれて雲にかくれ、柳桃(リウタウ)は風に騒いで江岸の春を晦(くら)うした。
舳艫(ジクロ)をそろへて、溯江(ソカウ)する兵帆(ヘイハン)何百艘、飛報は早くも、
「たいへん!」
と、江夏に急を告げ、又急を告げてゆく。
黄祖の驚きは一通りではない。
が、——先に勝つた覚えがある。
「呉人(ゴジン)の青二才共、何するものぞ」
蘇飛を大将とし、陳就(チンジユ)、鄧龍(トウリウ)を先鋒として、江上に迎撃すべく、兵船をおし出し、準備をさ/\怠りない。
大江の波は立ち騒いだ。
呉軍は、沔口(ベンカウ)(ママ)の水面をおもむろに征圧し、市街の湾口へとつめて来た。
守備軍は、小舟をあつめて、江岸一帯に、舟の砦(とりで)を作り、大小の弩弓を懸けつらね、一せいに射かけて来た。
呉の船は、さん/゛\射立てられ、各船、進路を乱して逃げまどふと、水底には縦横に大索(おほなは)を張りめぐらしてある事とて、櫓を奪はれ、舵(かじ)を折り、
「大勢、ふたゝび不利か」
と、一時は、周瑜をして、眉を曇らせたほどだつた。
時に、甘寧は、
「いで。これからだ」
と、董襲にも促し、かねて諜(しめ)し合はせておいたとほり、決死、敵前に駆け上るべく、合図の旗を檣頭(シヤウトウ)にかゝげた。
百餘艘の早舟は、忽ち、江上に下ろされて、それに廿人、卅人と、死をものともせぬ兵が飛びのつた。
波間(ハカン)にとゞろく金鼓(キンコ)、喊声(カンセイ)につれて、決死の早舟隊は、無二無三、陸へ迫つてゆく。
或る者は、水中の張り綱を切りながし、或る者は、氷雨(ひさめ)と飛んで来る矢を払ひ、又、舳(みよし)に突つ立つた弓手は、眼をふさいで、陸上の敵へ、射返して進んで行つた。
「防げ」
「陸へ上げるな」
敵の小舟も、揉みに揉む。
そして、火を投げ、油をふりかけて来る。
白波は、天に吼(ほ)え、血は大江を夕空の如く染めた。
黄祖の先鋒の大将、陳就は岸へとび上つて、
「残念、舟手の先陣は、破られたか。二陣、陸(くが)の柵(サク)をかためろ」
声を嗄(か)らして、左右の郎党に下知してゐるのを、呂蒙が見つけて、
「うごくなつ」
と、近づいた。
岸へとび上がるやいな、槍をふるつて突きかけた。——陳就は、あはてゝ、
「やつ、呉の呂蒙か」
と、剣を揮(ふる)つて、防ぎながら、
「気をつけろ。もう敵は上陸(あが)つてゐるぞ」
と、部下へ注意しながら逃げ惑つた。
かう迄(まで)早く、敵が陸地に迫つてゐようとは思つてゐなかつたらしい。呂蒙は、
「おのれ、名を惜(おし)(ママ)まぬか」
と、陳就を追つて、うしろから一槍を見舞ひ、その仆(たふ)れたのを見ると、大剣を抜いて、首をあげた。
舟手の崩滅を救はんものと、大将の蘇飛は、江岸まで馬をすゝめて来た。——それと見た呉軍の将士は、
「われこそ」
と、功に逸(はや)つて、蘇飛のまはりへむらがり寄つたが、燈(ひ)にとびつく夏の虫のやうに、彼のまはりに、死屍を積みかさねるばかりだつた。
すると、呉の一将に、潘璋といふ剛の者があつた。立ち騒ぐ敵味方のあひだを駆けぬけ、真つ直(すぐ)に、蘇飛のそばへ近づいて行つたかと思ふと、馬上のまゝ引つ組んで、さすがの蘇飛をも自由に働かせず、鞍脇(くらわき)にかゝへて、忽ち、味方の船まで帰つて来た。
そして、孫権に献じると、孫権は眼をいからして、蘇飛を睨めつけ
「以前、わが父孫堅を殺した敵将はこいつだ。すぐ斬るのは惜しい。黄祖の首と二つ並べて、凱旋の後(のち)父の墓を祭らう。檻車(カンシヤ)へ抛(はふ)りこんで本国へさし立てろ」
と、云つて、部下に預けた。
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次回 → 蜂と世子(せいし)(一)(2025年9月3日(水)18時配信)

