吉川英治『三国志(新聞連載版)』(590)立春大吉(一)
昭和16年(1941)8月19日(火)付掲載(8月18日(月)配達)
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年はつひに暮れてしまつた。
あくれば建安十三年。
新野の居城に、歳暮や歳旦を迎へてゐるまも、一日とて孔明を思はぬ日のない玄徳は、立春の祭事が済むと、卜者(ボクシヤ)に命じて吉日をえらばせ、三日の潔斎(ものいみ)をして身を浄(きよ)めた。
そして、関羽、張飛をよび、
「三度、孔明を訪れん」
と、触れ出した。
ふたりとも歓ばない顔をした。口を揃へて諫めるのである。
「すでに両度まで、駕(ガ)を枉(ま)げたまひ、このうへ又、君よりお訪ねあるなどは、餘りに礼の過ぎたるもの。それがし共の思ふには、孔明は徒(いたづ)らに虚名を売り、実は内容のない似非(えせ)学徒に相違なく、それ故、わが君に会ふのを惧(おそ)れ、とやかく、逃げのがれてゐるものかと存じられます。——そんな人物に惑はされて、無用なほ心を労(つか)ふなど、巷(ちまた)の嘲笑も思ひやらるゝではございませぬか」
「否(いな)!」
玄徳の信は固かつた。
「関羽は春秋も読んで居よう。斉の景公は、諸侯の身で、東郭(トウクワク)の野人に会ふため、五度も尋ねてゐるではないか」
関羽は、長嘆して、
「あなたが賢人を慕ふことは、ちやうど太公望のところへ通つた文王のやうです。御熱意にはほとほと感じ入るほかありません」
すると張飛は、横口をさし入れて、こう大言した。
「いや/\、文王が何だ、太公望が何者だ。われら三人が、武を論ぜんに、誰(たれ)か天下に肩をならべる者やある。それを、たつた一人の農夫に対して、三顧の礼を尽すなど、実に、愚の至りといふべきだ。孔明を招くには、一条の麻縄があれば足りる。それがしにお命じあれば、立ちどころに縛しあげて来て、家兄(このかみ)の御覧に入れるものを!」
「張飛は、近頃また、持前の狂躁病が起(おこ)つてをるらしいな」
と、玄徳は、叱つて——
「むかし、周の文王が、渭水(ヰスヰ)に行つて、太公望をたづねたとき、太公望は釣(つり)を垂れてゐて、顧みもしなかつた。文王はそのうしろに佇(た)つたまゝ、釣を邪(さまた)げず、日の暮れるまで待つてゐたといふ。——太公望もその志に感じ、つひに文王を佐(たす)ける気になつて、その功はやがて、周代八百年の基(もと)を開いたのである。——古人の賢人を敬ふことは、みなこのやうであつた。思ひ見よ、汝自身の天性と学問を。——もし先方へ参つて、今のやうな無礼を放言したら、玄徳の礼も、空しきものとなる。関羽一名を供にして行くから、汝は留守をしてをるがいゝ」
云ひ捨てゝ、玄徳は早、城中から馬をすゝめてゐた。
ひどく叱られて、張飛は、一時ふくれてゐたが、関羽も供に従(つ)いてゆくのを見ると、
「一日たりとも、家兄(このかみ)の側(そば)を離れてゐるのは、一日の不幸だ。おれも行く」
と、後から追ひかけて、供のうちに加はつた。
春は浅く、残(のこ)んの雪に、まだ風は冷たかつたが、清朗の空の下、道は快く捗(はかど)つた。
やがて、臥龍の丘につく。
駒を降(お)りて、玄徳は、歩行してすゝむこと百歩、
「臥龍先生は御在宅か」
と、慇懃(インギン)、叩門(コウモン)して、内へ云つた。
飄(ヘウ)として、ひとりの書生が、奥から馳けて来て、門をひらいた。
「おゝ——」
相見れば、それはいつぞやの若者——諸葛均であつた。
「ようこそ、お越しなされました」
「けふは、お兄上には?」
「はい。昨日の暮(くれ)方(がた)、家に帰つて参りました」
「噫。おいでゝすか!」
「どうか、お通りあつて、御随意にお会ひくださいまし」
均は、さう云ふと、たゞ長揖(チヤウイフ)して、立ち去つてしまつた。
張飛は見送つて、
「案内にも立たず、勝手に会へとは、何たる非礼。小(こ)面(づら)の憎い青二才め」
と、何かにつけて、腹ばかり立てゝゐた。
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次回 → 立春大吉(二)(2025年8月19日(火)18時配信)

