吉川英治『三国志(新聞連載版)』(589)雪千丈(五)
昭和16年(1941)8月17日(日)付掲載(8月16日(土)配達)
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童子は待ちきれず、彼方へ馳け出して行つた。
玄徳の一行もやゝ進んでゐた。
孔明の家の長い籬(まがき)の断(き)れたところに、狭い渓(たに)へ架(かゝ)つてゐる小橋がある。
見ると今、そこを渡つて来る驢馬の上に、暖かさうな頭巾を被(かぶ)つた老翁のすがたがある。身には狐(きつね)の皮衣(かわごろも)をまとひ、酒を入れた葫蘆(ふくべ)を、お供の童子に持たせて来る。
籬の角から渓へ臨んで、寒梅の一枝が開きかけてゐた。
老翁はそれを仰ぐと、興(キヨウ)を催したらしく、声を発して、梁父(レウホ)(ママ)の詩を吟じた。
一夜(イチヤ)北風(ホクフウ)寒し
万里(バンリ)塔雲(トウウン)(ママ)厚く
長空雪は乱れ飄(ひるがへ)る
改め尽す山川の旧(ふる)きを
………………
白髪の老衰翁
盛に皇天の祐(たすけ)を感ず
驢に乗つて小橋を過ぎ
独り梅花の痩せを嘆ず
玄徳は、詩声を聞いて、その高雅その志操を察し、かならずこの人こそ、孔明であらうと、橋畔に馬を捨てて、
「待つこと久し。先生、たゞ今、お帰りでしたか」
と、呼びかけた。
老翁は、びつくりした容子で、直(す)ぐさま馬を降(お)り、礼を回(かへ)して、
「てまへは、臥龍の岳父(しうと)の黄承彦(クワウシヤウゲン)といふものぢやが……して、あなた様は?」
と、怪訝(いぶか)つた。
又しても、人違ひだつたのである。孔明の妻、黄氏の父だつた。玄徳は、卒爾(ソツジ)を謝して、
「さうでしたか。私は新野の玄徳ですが、臥龍の廬(ロ)を訪ふこと二回、今日もむなしく会へずに帰るところです。いつたい、あなたの賢婿(むこ)さんは何処へ行つたのでせう?」
「さあ。てまへもこれからその婿をたづねに行く途中ですが、……それでは今日も留守ですかい」
やれ/\と云はぬばかりに、老翁は眉を降りしきる雪に上げて考へてゐたが、
「こゝまで来たこと、てまへは娘にでも会ひませう。ひどい雪ぢや、途中の坂道をお気をつけなされ」
と、ふたゝび驢馬に乗つて立ち別れた。
意地悪く、雪も風もやまない。道の難渋は云ふまでもなかつた。来〔がけ〕に立ち寄つた例の居酒店(ゐざかや)のある村まで来たときは、すでに日も暮れかけてゐた。
いくら長尻(ながじり)でも大酒でも、昼の石広元や孟公威はもうそこには居ないだらう。その代りに、ほかのお客が混みあつてゐるらしい。飲んだり騒いだり盛(さかん)にがやがややつてゐる。そして鉢(はち)を叩きながら、その客達が謡(うた)ふのを聞けば——
莫学孔明択婦(まなぶなかれこうめいのふをえらぶを)
止得阿承醜女(あしやうのしうぢよをうるにとどまる)
これをもつと俗歌的にくだいて、おまけにこの辺の田舎(ゐなか)訛(なま)りを加へ、
嫁えらみも、たいがいに
孔明さんがよい手本
択(え)りに択つたその末が
醜女(シウヂヨ)のあしやうを引きあてた。
と、笑ひ囃(はや)してゐるのであつた。
孔明の新妻(にひづま)が、不縹緻(ぶきれう)(ママ)なことは、この俚謡(リエウ)も云つてゐるとほり、村では噂のたねらしい。
さつき小橋で出会つたのが嫁さんの父親である。その黄承彦さへ、娘をやる時、
(われに一女あり、色は黒く、髪は赭(あか)く、容色は無けれど、才は君に配するに堪(た)へたり)
と、断つて嫁がせたといふ程であるから、親でも自慢できなかつた不美人だつたにちがひない。
居酒店(ゐざかや)の前を通りながら、その俚謡を耳にした張飛は、玄徳へいつた。
「どうです、あの謡(うた)は、およそ彼の家庭も、あれで分るぢやありませんか。新妻にあきたらないので、孔明先生、時々よそへ、美しいのを見に行くのぢやありませんかな?」
と、戯れた。
玄徳は返辞もしなかつた。満天の雪雲のやうに、彼の面は怏々(ワウ/\)(ママ)と閉ぢてゐた。
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