吉川英治『三国志(新聞連載版)』(586)雪千丈(二)
昭和16年(1941)8月14日(木)付掲載(8月13日(水)配達)
ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 雪千丈(一)
***************************************
すると又、別人の声が、卓をたたいて高吟し出した。
ひとりは、それに合せて、箸で鉢を叩く。
漢皇(カンワウ)剣ヲ提(ひつさ)ゲテ寰宇(クワンウ)ヲ清メ
一タビ強秦ヲ定ム四百載
桓霊(クワンレイ)未(いま)ダ久シカラズ火徳衰フ
乱臣(ランシン)賊子(ゾクシ)鼎鼐(テイタイ)ヲ調ヘ
群盗四方ニ聚(あつま)ル蟻ノ如シ
万里ノ奸雄ミナ鷹揚(オウヤウ)
吾等(われら)大嘯(タイシヤウ)(ママ)、空シク手ヲ拍ツノミ
悶(もだ)ヘ来ツテ村店(ソンテン)ニ村酒ヲ飲ム…
歌ひ終ると、
「あはゝゝ」
「わははは」
梁(うつばり)の塵(ちり)も落すやうな笑ひ声である。
「さては、——」と、玄徳は、歌の意味から察して、
「どちらか一方は、かならず孔明にちがひあるまい」
と、急に馬を降りて、居酒屋のうちへづか/\這(は)入(い)つて行つた。
たゞの板を打つた、細長い卓(つくえ)に凭(よ)つて、二人の処士が飲んでゐた。ふいに門口から這入つて来た、玄徳のすがたを見——啞然として——どつちも眼をまろくする。
向ふ側の老人は、木瓜(ぼけ)の花みたいに真つ赤な顔はしてゐるが、容貌は奇古(キコ)清潔で、どこか風格がある。
幅のある背を向けて、老人と対してゐるのは、白皙(ハクセキ)黒鬢(コクビン)の壮士で、親子か友人か、よほど親しい仲らしい。
玄徳は慇懃(インギン)に、酒興を醒ました無礼をわびて、
「それにお在(は)すは、臥龍先生とはちがひますか」
と、老人へ向つて云つた。
「ちがふ……」
老人は顔を振つて苦笑する。
玄徳は更に、若いはうの人物に対(むか)つて、
「もしや孔明先生は、其許(そこもと)ではありませんか」
と、訊いてみた。
「ちがひます」
と、若い方も、明晰に否定する。
老人はいぶかしげに、次に自分のはうから訊ねた。
「かゝる雪中、臥龍をおたづねあるは、抑(そも)、何事ですか。また将軍こそ、如何(いか)なるお人か?」
「申しおくれた。自分は漢の左将軍、豫州の牧、劉玄徳といふもの。——孔明先生を訪(と)ふわけは、乱世の現状を治め、済民の道を問はんがためです」
「えつ、では新野の御城主ではありませんか」
「さうです。今、戸外(おもて)を通るに、旺(さかん)な声をして、慷慨(コウガイ)(ママ)の歌を吟ずる声がしました。察するに必ず先生ならんと——われを忘れてこれへ這入つて来たわけですが」
「それはどうも」
二人は、顔を見合せて、
「折角でしたが、われ/\は何(いづ)れも、孔明ではありません。たゞ臥龍の友だち共です。それがしは、潁州の石広元と申し、てまへの前にをる壮士(わかもの)は、汝南の孟公威といふ者でおざる」
玄徳は、失望しなかつた。なぜなら石広元といひ、孟公威といひ、いづれも襄陽の学界で著名な人士である。こゝで会つたのは何よりの幸せ、相伴つて臥龍先生の廬を訪はうではないか——と彼がすゝめると、石広元は、かぶりを振つて、
「いや/\われらは、山林に高臥し、懶惰(ライダ)(ママ)になれた隠者ですから、いかで治国安民の経策になど関はれませう。資格のない人間共です。まづまづ、臥龍をお訪ねあるが何よりでせう」
と、巧みに避けた。
やむなく玄徳は二人にわかれて、居酒屋の戸外(そと)へ出た。雪は相変らず〔へう〕/\と降りしきつてゐる。供の関羽、張飛たちも、けふばかりは黙々と雪を冒(をか)してゆくばかりだつた。
やがて岡の家——孔明の廬たる柴門へ漸く辿りついた。柴を叩いて、先生ありやと、先日の童子に在否を訊ねると、
「はい、何だか、けふは書堂の内に居るやうです。あの堂です。行つてごらんなさい」
と、奥を指(ゆびさ)した。
***************************************
次回 → 雪千丈(三)(2025年8月14日(木)18時配信)

