吉川英治『三国志(新聞連載版)』(583)孔明を訪(と)ふ(四)
昭和16年(1941)8月10日(日)付掲載(8月9日(土)配達)
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ふいに馬を降りて来て、自分へ慇懃(インギン)に礼をする玄徳を見て——烏巾(ウキン)青衣(セイイ)のその高士は、
「何です?どなたですか、いつたい?」
と、〔さも〕うろたへ顔に、杖をとめて、訊ね返した。
玄徳は、謹んで、
「いま先生の廬(ロ)をお訪ねして、むなしく戻つて来たところです。計らずもこゝでお目にかゝり、大幸、この上もありません」
と、云つた。
青衣の高士は、なほ愕(おどろ)いて、
「何か、人違ひではありませんか。いつたい将軍は、何処(いづこ)の御人(ゴジン)ですか」
「新野の劉備玄徳ですが」
「えつ、あなたが?」
「孔明先生は、其許(そこもと)でせう」
「ちがひます! ちがひます!……。霊鳥と鴉(からす)ほど違ひます」
「では、何びとでおはすか」
「孔明の友人、博陵の崔州平とまうす者です」
「おう、御友人か」
「将軍のお名まへも、夙(つと)に伺つてをりますが、かくは御軽装で、にはかに彼の廬(ロ)をお訪(と)ひになるとは、抑(そも)、いかなる理(わけ)ですか」
「いや、それにつ就(つい)ては、大いにおはなし申したい。まづ、そこらの岩へでもおかけなさい。予も、席をいたゞく」
と、路傍の岩に腰をおろして、
「——自分が、孔明を尋ねて来たのは、国を治め民を安んずる道を問はんが為で、その他には何もない」
と、云つた。
すると、崔州平は、大いに笑つて、
「善い事ですな。けれど、あなたは治乱の道理を知らないとみえる」
「或(あるひ)は——然らん。ねがはくば治乱の道を、説いて聞かせたまへ」
「山村の一儒生が烏(ヲ)滸(コ)なる言とお怒りなくば、一言(イチゴン)申してみませう。——一体、治乱とは、この世の二つの相(サウ)かまた一相か。古(いにしへ)から観るに、治(チ)きはまれば乱を生じ、乱きはまるとき治に入ること、申すもおろかでありますが、現代はいかにといふに、光武の治より今にいたる迄(まで)二百餘年、平和をつゞけて、近頃漸く、地に干戈(カンクワ)の音、雲に戦鼓(センコ)の響き、いはゆる乱に入り初めたものではありませんか」
「さうです。……乱兆が見え初めてからこゝ二十年に亙(わた)るでせう」
「人の一生からいへば、二十年の乱は長しと思へませうが、悠久なる歴史の上から観れば、実は〔ほん〕の一瞬です。大颱風(ダイタイフウ)を知らせる冷風が、〔そよめ〕き出して来た程度にすぎますまい」
「故に、真の賢人を求め、万民の災害を、未然に防ぐこと、或(あるひ)は、最小最短になすべく努めることを以て、劉備は自分の使命なりと信じてゐるわけですが」
「善い哉(かな)、理想は。——けれど、天生天殺いつの日か終らんです。ごらんなさい、黄土の人族(ジンゾク)起(た)つて以来の流れを。また秦漢の政体や国々の制が立つて以来の転変を。——歴史は窮(きは)まりなく繰返してゆくらしい。——万生万殺——一殺多生——いづれも天理の常でせう、自然の天心からこれを観れば、青々(セイ/\)と生じ、翻々(ヘン/\)と落葉する——それを見るのと何の変りもない平凡事に過ぎますまい」
「われわれは凡俗です。高士のごとく、冷観はできません。ひとしく生き、ひとしく人たる万民が、塗炭の苦しみにあえぐ(ママ)を見ては。また、果(はて)なき流血の宿命を〔よそ〕には」
「英雄の悩みはそこにありませう。——けれど、あなたが孔明を尋ねて、いかに孔明をお用ひあらうと、宇宙の天理を如何になし得ませうか。たとひ孔明に、天地を廻旋するの才ありとも、乾坤を捏造するほど力があらうとも、倒底、その道理を変じて、この世から戦(いくさ)をなくすることはできないに極(きま)つてゐる。いはんや、彼(あ)の人も、さう丈夫な体でもないし、限りのある生命(いのち)と知れてゐる人間ではありませんか。……はゝゝゝ」
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なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

