吉川英治『三国志(新聞連載版)』(577)臥龍の岡(一)
昭和16年(1941)8月3日(日)付掲載(8月2日(土)配達)
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却説(さて)。
こゝで再び、時と場所とは前にもどつて、玄徳と徐庶とが、別離を告げた道へ還るとする。
× ×
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「骨肉の別れ、相思の仲の別れ。いづれも悲しいのは当然だが、男子としては、君臣の別れもまた断腸の一つだ。……噫(あゝ)、けふばかりは、何度思ひ止まらうかと迷つたか知れぬ」
徐庶は、駒を早めてゐた。
今なほ、玄徳の恩に、情(ジヤウ)に、うしろ髪を引かれながら——。
だが、都に囚(とら)はれてゐる母の身へも、心は惹(ひ)かれる。矢のやうに急がれる。
徐庶の心は忙しかつた。
また、そんな中でも、後に案じられるもう一つの事は、別れ際に自分から玄徳へ推薦しておいた諸葛孔明のことである。かならず主君玄徳は、近日、孔明を訪れるであらうが、果(はた)して、孔明が請ひを容れるかどうか?
「彼のことだ、恐らく、容易にはうごくまい」
徐庶は、責任を感じた。また、玄徳のために、途々、苦念した。
「さうだ……隆中へ立寄つても、さして廻り道にはならぬ。——別辞かた/゛\孔明にもちよつと会つて行かう。そして主君玄徳の懇望があつたら、ぜひ召に応じてくれるやう、自分からもよく頼んでおかう」
さう考へつくと、彼は、にはかに道を更へて、襄陽の西郊へ廻つて行つた。
臥龍の岡は、やがて彼方に見えて来る。龍が寝てゐるやうな岡といふのでその名がある。
徐庶の馬は、やがてそこの岡をのぼつて行く。久しく無沙汰してゐたので、そこらの木々も石もみな旧友の如くなつかしく見える。
折から晩秋なので、満山は紅葉してゐた。めつたに訪ふ人もない孔明の家の屋根は、落葉の中に埋まつてゐた。門前に馬を降りて、徐庶はその柴門を叩く。訪れの声をかける——。
が、園内は寂(ジヤク)として、木の葉の落ちる音ばかりだ。
しばらく佇(たたず)んでゐると、童子の歌ふ声がする。
蒼天は円蓋ノ如シ
陸地、碁局(キキヨク)ニ似タリ
世人(セジン)黒白(コクビヤク)シテ分レ
往来ニ栄辱(エイジヨク)を争フ
「おうい、童子。こゝを開けてくれ。先生はいらつしやるか。——わしだよ。徐庶が来たと取次いでくれ」
外の客は、しきりと訪れてゐたが、童子はなほ気づかないものゝ如く、
栄(さか)フル者ハ自(おのづか)ラ安々(アン/\)
辱(はづかし)メラルヽ者ハ定メテ碌々(ロク/\)
南陽ニ隠君有リ
高眠(カウミン)臥(ふ)シテ足ラズ
と、歌ひながら、梢の鳥の巣を仰いでゐた。
すると、どこやらで、童堂々々と呼ぶ声がして、門外に客のあることを教へてゐた。
「え。誰か来たのかい」
童子は、飛んで来た。——そして内から柴門をあけて、客のすがたを見ると、
「あゝ、元直さまか」
と、馴々しく云つた。
徐庶は、傍らの木へ、駒をつないで、
「先生はゐられるかね?」
「おいでになります」
「お書斎か」
「えゝ」
「おまへはなか/\歌がうまいな」
「元直さまは、急にこの頃、美々しくなりましたね。剣も、着物も、お馬の鞍(くら)まで」
園の小径(こみち)を、奥へ歩いてゆく徐庶のあとから、童子は口達者にさう云つた。徐庶は、さう云はれて、心に顧みた。——曽(かつ)ての破衣(ハイ)孤剣(コケン)の貧しい自分のすがたを。——そしてこゝの簡素な家の主(あるじ)に対して、何か、会はないうちから気(き)恥(はづか)しい心地をおぼえた。
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次回 → 臥龍の岡(二)(2025年8月4日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

