吉川英治『三国志(新聞連載版)』(569)立つ鳥の声(三)
昭和16年(1941)7月25日(金)付掲載(7月24日(木)配達)
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亭の外にひかへてゐた関羽、張飛、趙雲などの諸将も、みな一面は多感の士である。涙を抑へて悉(こと/゛\)く俯(うつ)向(む)いてゐた。
徐庶は、亭上からその人々を顧みて、
「拙者の去つた後(あと)は、諸公に於かれても、今日以上、一倍結束して、互ひに忠義を磨き、名を末代におのこしあるやう、許都の空より禱(いの)つてをりますぞ」
と、云つた。
玄徳はつひに嗚咽(オエツ)し、しばしは涙雨(なみだあめ)の如くだつた。そして猶(なほ)、ここでも別れるに忍びないで、
「……もう四、五里ほど」
と、ともに轡(くつわ)をならべて徐庶を送つて行つた。
「もう、この辺で……」
徐庶は、固辞したが、
「いや、もう少し送らう。互ひに天の一方にはかれては、またいつの日か会へよう」
と、思はず十里ほど来てしまつた。
徐庶の馬も、つい進まず、
「御縁だにあれば、これも一時のお別れになりませう。お体を御大事にして、徐庶が再び帰る日をお待ちあそばし下さい」
と、なぐさめた。
かくて又、いつか七、八里もきてゐた。城外を距(へだ)つことかなり遠い田舎である。諸将は帰途を案じて、
「いくら行つても、お名残は尽きますまい。もはやこゝで」
と、一同して馬を控へた。
玄徳は馬上から手をさしのべた。徐庶もまた手を伸ばした。かたく握りあつて、ふたりの眸はしばし無言の熱涙(ネツルヰ)を見交はしてゐた。
「……では、健やかに」
「あなた様にも」
「おさらば」
しかも玄徳の手は猶(なほ)、徐庶の手をかたく握つてゐて離さなかつた。
滂沱(バウダ)たる涙と共に、手もまた震へ哭(な)くかのやうだつた。
「——おさらばです」
つひに、徐庶は捥(も)ぎ離して、駒のたてがみに、面(おもて)を沈めながら馳け去つた。
諸将は、一斉に、手を振つて、そのうしろ影へ、
「さらば」
「さらば——」
を告げながら〔どや〕/\駒を回(かへ)し初めた。そして玄徳を包んで元の道へ忙がはしく引つ返した。
未練な玄徳は、なほ時々、駒を佇(たゝず)ませて、徐庶の影を遠く振り向き、
「おゝ、あの林の陰にかくれ去つた。徐庶の影を距(へだ)てる林の憎さよ。まゝになるならあの林の木々をみな伐(き)り捨てたい!……」
と、声を放つて泣いた。
いかに君臣の情の切なる溢れにせよ、餘りな愚痴をと思つたか、諸将は声を励まして、
「いつ迄(まで)、詮なきお嘆きを。——いざ/\疾(と)くお帰りあれ」
と、促した。
そして六、七里ほど引つ返して来た頃である。後(うしろ)の方から、
「おうーい。おういつ」
と、呼ぶ声がする。
見れば、こはいかに、彼方から馬に鞭打つて追ひかけて来るのは、徐庶ではないか。徐庶が帰つて来たではないか。
(さては彼も、別れ切るに忍びず、つひに志を変へて戻つて来たか)
人々は、直感して、どよめき迎へた。
すると徐庶は、そこへ近づいて来るやいな、玄徳の鞍(くら)〔わき〕へ寄つて、早口にかう告げた。
「夜来、心みだれて麻のごとく、つい、大事な一言をお告げしておくことを忘れました。——彼方(あなた)、襄陽の街を西へ距(へだ)つこと二十里、隆中(リウチウ)といふ一村落があります。そこに一人の大賢人がゐます。——君よ。徒(いたづ)らなお嘆きをやめて、ぜひ/\この人をお訪ねなさい。これこそ、徐庶がお別れの置き土産です」
云ひ終ると、徐庶はふたたび元の道へ、駒を急がせた。
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次回 → 立つ鳥の声(四)(2025年7月25日(金)18時配信)

