吉川英治『三国志(新聞連載版)』(568)立つ鳥の声(二)
昭和16年(1941)7月24日(木)付掲載(7月23日(水)配達)
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一杯また一杯、別れを惜(をし)んで、宴(エン)は夜半に及んだ。
けれど徐庶は、酔はない。
時折、杯(さかづき)をわすれて、かう嘆じた。
「ひとりの母が、許都に囚(とら)はれたと知つてからは、粟(あは)にも粟の味はひなく、酒にも酒の香りはありません。金波玉液(キンパギヨクエキ)も喉(ノド)に空しです。人間、恩愛の情には、つく/゛\弱いものだと思ひました」
「いや、無理もない。まだ主従の日も浅いのに、いま御辺と別れるにのぞんで、この玄徳ですら、左右の手を失ふやうな心地がする。龍肝(リウカン)、鳳髄(ホウズヰ)も舌に甘からずです……」
いつか、夜が白みかけた。
諸大将も、惜別のことばを繰返しながら、最後の別杯をあげて、各々、休息に退(さ)がつた。
〔まどろむ〕ほどの間もないが、牀(シヤウ)に寄つて、玄徳も独り居眠つてゐると、孫乾(ソンカン)がそつと訪れて、
「わが君。どう考へても、徐庶を許都へやるのは、大きな不利です。あのやうな大才を、曹操の所へわざ/\送つてやるなど、愚の至りです。何とか彼をお引(ひき)留(とめ)になつたら如何ですか。今のうちなら、いかなる策も施せませう」
と、囁いた。
玄徳は、黙然としてゐた。
孫乾は、なほ語を強めて、
「それのみならず、徐庶は、味方の兵数、内状、すべてに精通してゐますから、その智を得て、曹操の大軍が襲(よ)せて来たら、如何とも防ぎはつきますまい」
「……」
「禍(クワ)を転じて、福となすには、徐庶をこの地に引きとゞめ、益々(ます/\)、防備を固めるにあります。必然、曹操は、徐庶に見切りをつけて、その母を殺すでせう。しかる時には、徐庶にとつて、曹操は母の仇(かたき)となりますから、いよ/\敵意を励まして、彼を打(うち)敗(やぶ)ることに、生涯を賭けるにちがひありません」
「だまれ」
玄徳は、胸を正した。
「いけない。そんな不仁なことは自分には出来ない。——思うてもみよ。人にその母を殺させて、その子を、自分の利に用ひるなど、君たるものゝする事か。たとひ、玄徳が、この一事の為、亡ぶ日を招くとも、そんな不義なことは断じて出来ぬ」
彼は、身支度して、早くも帳裡(チヤウリ)から出て行つた。馬を曳け、と侍臣へ命じる。小禽(ことり)は朝晴(あさばれ)を歌つてゐた。けれど玄徳の面は決して今朝の空のやうではない。
関羽、張飛などが騎従した。玄徳は城外まで、徐庶の出発を見送るつもりらしい。人々はその深情に感じもし、また徐庶の光栄を羨(うらや)みもした。
郊外の長亭まで来た。徐庶は恐縮のあまり、
「もう、どうぞこゝで」
と、送行を辞した。
「では、こゝで別れの中食(チウジキ)を摂(と)らう」
と、一亭のうちで、また別杯を酌(く)んだ。
玄徳は、沁々(しみ/゛\)と、
「御身と別になつては、もう御身から明らかな道を訊くこともできなくなつた。けれど、誰に仕へても、道に変りはない。どうか新しい主君にまみえても、よく忠節を尽され、よく孝行をして、士道の本分を完うされるやうに」
と、繰返して云つた。
徐庶は、なみだを流して、
「おことば、有難う存じます。才浅く、智乏しい身を以(もつ)て、君の重恩をかふむりながら、不幸、半途でお別れのやむなきに至り、慚愧(ザンキ)にたへません。母を養ふねがひは切々にありますが、曹操にまみえて、どう臣節を保てませうか、自信は持ち得ません」
「自分も、御辺といふ者を失つては、何か、大きな気(き)落(おち)を、どうしやうもない。いつそ、現世の望みを断(た)つて、山林にでも隠れたい気がする」
「〔かひ〕なき事を仰せられますな、それがし如き菲才(ヒサイ)を捨てゝ、より良き賢士をお招きあれば、御武運は更に赫々(カク/\)たるものです」
「御辺に優(まさ)る賢士など、おそらく当代には求められまい。絶対に、無いといへよう」
玄徳は沈痛な語気で云つた。
——それ位なら何もこのやうに落胆はしないと云ふ風に。
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