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今回より14冊単行本の巻の七「孔明の巻」となります。
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河北の広大を併(あは)せ、遼東や遼西からも貢(みつぎ)せられ、王城の府許都の街は、年々の殷賑(インシン)に拍車をかけて、名実ともに今や中央の府たる偉観と規模の大を具備して来た。
いはゆる華の都である。人目高いその都門へ、赤裸同然な態(テイ)たらくで逃げ帰つて来た曹仁といひ、またわづかな残兵と共に遁(のが)れ帰つた李典といひ、不面目なことは夥(おびたゞ)しい。
「呂曠、呂翔の二将軍は帰らぬ」
「みな討(うち)死(じに)したそうだ」
「三万の兵馬が、いつたい何騎帰つて来たか」
「餘りな惨敗ではないか」
「丞相の御威光を汚(けが)すもの」
「よろしく、ふたりの敗将を馘(くびき)つて街門に曝(さら)すべしだ」
などゝ都雀(みやこすゞめ)は口(くち)喧(やか)ましい。
ましてや丞相の激怒はどんなであらうと、人々はひそかに語らつてゐたが、やがて曹仁、李典のふたりが、相府の地に拝伏して、数度の合戦に打ち負けた報告をつぶさに耳達(ジタツ)する当日となると、曹操は聞き終つてから、一笑の下(もと)にかう云つた。
「勝敗は兵家の常だ。——よろしい!」
それきり敗戦の責任に就(つい)ては、何も問はないし、咎めもしなかつた。
たゞ一つ、彼の腑に落ちなかつたことは、曹仁といふ戦(いくさ)巧者(カウシヤ)な大将の画策をこと/゛\く撃砕して、鮮(あざや)かにその裏を搔(か)いた敵の手並のいつにも似ない戦略振りにあつた。
「こんどの戦には、始終玄徳を扶(たす)けて来た従来の帷幕のほかに、何者か、新に彼を助けて、計(はかりごと)を授けてゐたやうな形跡はなかつたか」
彼の問ひに曹仁が答へて、
「されば、御名察のとほり、単福と申すものが、新野の軍師として、参加してゐたとやら聞き及びました」
「なに、単福?」
曹操は小首を傾けて、
「天下に智者は多いが、予はまだ、単福などゝいふ人間を聞ゐたことがない。汝等のうちで誰かそれを知る者はゐるか」
扈従の群星を見まはして訊ねると、程昱がひとり呵々と笑ひ出した。
曹操は視線を彼に向けて、
「程昱。そちは知つてをるのか」
「よく知つてゐます」
「いかなる縁故で」
「すなはち潁上(安徽省・潁州)の産ですから」
「その為人(ひととなり)は?」
「義胆直心(ギタンチヨクシン)」
「学は?」
「六韜(リクタウ)をそらんじ、よく経書を読んでゐました」
「能(ノウ)は?」
「この人若年から好んで剣を使ひ、中平年間の末、人にたのまれて、その仇(あだ)を討ち、ために詮議に遭(あ)つて、面(おもて)に炭の粉(こ)を塗り、わざと髪を振り乱し、狂者の真似して町を奔(はし)つてゐましたが、つひに奉行所の手に捕はるゝも、名を答へず、為に、車の上に縛られて、市に引き出され——知る者はなきか——と曝(さら)し廻るも、みな彼の義心をあはれんで、一人として奉行に訴へる者がなかつたと云はれてをります」
「うむ、うむ……」
曹操は、聞き入つた。非常な興味をもつたらしく、程昱の唇(くち)もとを見つめてゐた。
「——しかも亦(また)、日頃交はる彼の朋友たちは、一夜、結束して獄中から彼を助け出して、縄を解いて、遠くへ逃がしてやつたのです。これに依つて、以後苗字をあらため、一層志を磨き、疎巾(ソキン)単衣(タンイ)、ただ一剣を帯びて諸国をあるき、識者に就(つ)き、先輩に学び、浪々幾年かのあげく、司馬徽の門を叩き、司馬徽を繞(めぐ)る風流研学の徒(ともがら)と交はつてゐるものと聞きおよんでをりました。——その人は、すなはち潁上の産れ徐庶(ジヨシヨ)字(あざな)は元直(ゲンチヨク)——単福とは、世をしのぶ一時の変名に過ぎません」
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次回 → 徐庶とその母(二)(2025年7月18日(金)18時配信)