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曹仁は次の日、根本的に陣形を改めてしまつた。自身は中軍にあつて、旗列(キレツ)を八荒(ハツクワウ)に布き、李典の軍勢は、これを後陣において、
「いざ、来い」
と、いはぬばかり気負ひ立つて見えた。
新野軍の単福は、その日、玄徳を丘の上に導き、軍師鞭(グンシベン)をもつて指しながら、
「御覧あれ、あの物々しさを。わが君には、今日(こんにち)、敵が布(し)いた陣形を、何の備へといふか、御存じですか」
「いや、知らぬ」
「八門金鎖(ハチモンキンサ)の陣です。——なかなか手際よく布陣してありますが、惜(をし)むらくは、中軍の主持(シユジ)に缺けてゐるところがある」
「八門とは」
「名づけて休(キウ)、生(セイ)、傷(シヤウ)、杜(ト)、景(ケイ)、死(シ)、驚(キヤウ)、開(カイ)の八部を云ひ、生門、景門、開門から入るときは吉なれど、傷、休、驚の三門を知らずして入るときは、かならず傷害をかうむり、杜門、死門を侵すときは、かならず滅亡すと云はれてゐます。——いま諸部の陣相を観るに、各々よく兵路を綾なし、殆(ほとん)ど完備してゐますが、たゞ中軍に重鎮の気なく、曹仁ひとり在つて李典は後陣にひかへてゐる象(かたち)——こここそ乗ずべき虚であります」
「——が、その中軍の虚を乱すには」
「生門より突入して、西の景門へ出るときは全陣糸を抜かれて綻(ほころ)ぶごとく乱れるに相違ありません」
理論を明し、実際を示し、単福が用兵の妙を説くこと、実に審(つまびら)かであつた。
「御身の一言は、百万騎の加勢に値する」
と玄徳は非常な信念を与へられて直に趙雲をまねき、授けるに手兵五百騎を以(もつ)てし、
「東南(たつみ)の一角から突撃して、西へ西へと敵を馳けちらし、又、東南へ返せ」
と命じた。
蹄雲(テイウン)一陣、金鼓、喊声(カンセイ)をつゝんで、たちまち敵の八陣の一部生門へ喚きかゝつた。いふまでもなく趙雲子龍を先頭とする五百騎であつた。
同時に、玄徳の本軍も遠くから潮のやうな諸声や鉦鼓(シヤウコ)の音(ね)をあげて威勢を助けてゐた。
全陣の真只中を趙雲の五百騎に突破されて、曹仁の備へは、たちまち混乱を来した。崩れ立つ足なみは中軍にまで波及し、曹仁自身、陣地を移すほどな慌て方だつたが、趙雲は、鉄騎を引いて、その側(そば)を摺(す)れ/\に馳け抜けながら敢て大将曹仁を追はなかつた。
西の景門まで、驀走(バクソウ)をつゞけ、遮る敵を蹴ちらすと、又すぐ、
「元の東南(たつみ)へ向つて返れ」
と、蹂躙(ジウリン)また蹂躙を恣(ほしいまゝ)にしながら、元の方向へ逆突破を敢行した。
八門金鎖の陣もほとんど何の役にも立たなかつた。為に、総崩れとなつて陣形も何も失つた時、
「今です」
と、単福は玄徳に向つて、総がかりの令を促した。待ちかまへてゐた新野軍は、小勢ながら機を摑(つか)んだ。よく善戦敵の大兵を屠(ほふ)り、存分に勝軍(かちいくさ)の快を満喫した。
醜態なのは、曹仁である。莫大な損傷をうけて、李典にすこしも合せる顔もない立場だつたが、猶(なほ)、痩(やせ)意地(イヂ)を張つて、
「よし、今度は夜討(ようち)をかけて、度度の恥辱を雪(そゝ)いでみせる」
と、豪語をやめなかつた。
李典は、苦笑を歪(ゆが)めて、
「無用々々。八門金鎖の陣さへ、見事それと観破して、破る法を知つてゐる敵ですぞ。玄徳の帷幕(ヰバク)には、かならず有能の士がゐて、軍配を采(と)つてゐるにちがひない。何でそんな常套手段に乗りませうや」
忠言すると、曹仁はいよ/\意地になつて、
「御辺のやうに、さういち/\物(もの)怯(お)ぢしたり疑ひに囚(とら)はれる位なら、初めから軍(いくさ)はしないに限る。御辺も武将の職を辞めたらどうだ」
と、痛烈に皮肉つた。
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次回 → 軍師の鞭(三)(2025年7月16日(水)18時配信)