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前回はこちら → 吟嘯(ぎんせう)浪士(らうし)(三)
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樊城へ逃げ帰つた残兵は、口々に敗戦の始末を訴へた。しかも呂曠、呂翔の二大将は、いくら待つても城へ帰つて来なかつた。
すると程経てから、
「二大将は、残りの敗軍をひいて帰る途中、山間の狭道に待ち伏せてゐた燕人(エンジン)張飛と名乗る者や、雲長関羽と呼ばはる敵に捕捉されて、各々、斬つて捨てられ、その他の者もみなごろしになりました」
との実相が漸く聞えて来た。
曹仁は、大いに怒つて、小癪(コシヤク)なる玄徳が輩(ともがら)、たゞちに新野へ押寄せて、部下の怨みを雪(そゝ)ぎ、眼にもの見せてくれんといきり立つたが、その出兵に当つて、李典に諮ると、李典は断じて反対を称へた。
「新野は小城であるし彼の軍隊は少数なので、つい敵を侮(あなど)つた為、呂曠、呂翔も惨敗をうけたものです。——何で又、貴殿まで同じ轍(テツ)を踏まうとなさるか」
「李典。御辺はそれがしも亦(また)、彼等に敗北するものと思つてをるのか」
「玄徳は尋常(よのつね)の人物ではない。軽軽しく見ては間違ひでござる」
「必勝の信なくしては戦に勝てぬ。御辺は戦はぬうちから臆病風に吹かれてをるな」
「敵を知る者は勝つ。怖るべき敵を怖るゝは決して怯気(ケフキ)ではない。よろしく、都へ人を上せて、曹丞相より精猛の大軍を乞ひ、充分戦法を練つて攻めかゝるべきであらう」
「鶏を割(さ)くに牛刀を用ひんや。そんな使を出したら、汝らは藁(わら)人形かと、丞相からお嗤(わら)ひをうけるだらう」
「強(た)つて、進撃あるなら、貴殿は貴殿の考へで進まれるがよい。李典にはそんな盲戦はできぬ。城に残つて、留守をかためて居よう」
「さては、二心を抱(いだ)いたな」
「なに、それがしに二心あると?」
李典は、勃然と云つたが、曹仁にさう疑はれてみると、あとに残つてゐるわけにも行かなかつた。
やむなく、彼も参加して、総勢二万五千——先の呂曠、呂翔の勢より五倍する兵力をもつて、樊城を発した。
まず白河(ハクガ)に兵船をそろへ、糧食軍馬を夥(おびたゞ)しく積みこんだ。檣頭(シヤウトウ)船尾には幡旗(ハンキ)林立して、千櫓一斉に河流を切りながら、堂々、新野へ向つて下江して来た。
戦勝の祝杯をあげてゐるいとまもなく、危急を告げる早馬は頻々(ヒン/\)新野の陣門をたゝいた。
軍師単福は立ち躁(さわ)ぐ人々を制して、静かに玄徳に会つて云つた。
「これはむしろ、待つてゐたものが自ら来たやうなもので、慌てるには及びません。曹仁自身、二万五千餘騎をひいて、寄するとあれば、必定、樊城はがら空きでせう。たとひ白河を距(へだ)てゝ地勢に不利はあらうとも、それを取るのは、掌(て)の裡(うち)にあります」
「この弱小な兵力をもつて、新野を守るのすら疑はれるのに、どうして樊城など攻め取れようか」
「戦略の妙諦(メウテイ)、用兵のおもしろさ、勝ち難きを勝ち、成らざるを成す、総(すべ)てかういふ場合にあります。人間生涯の貧苦、逆境、不時の難に当つても、道理は同じものでせう。かならず克服し、かならず勝つと、まづ信念なさい。暴策を用ひて自滅を急ぐのとは、その信念はちがふものです」
悠々たる単福の態度である。その後で彼は何やら玄徳に一策をささやいた。玄徳の眉は明るくなつた。
新野を距(へだゝ)るわづか十里の地点まで、曹仁、李典の兵は押して来た。これ、わが待つところの象(かたち)——と、単福は初めて味方を操り、進め、城を出て対陣した。
先鋒の李典と、先鋒の趙雲のあひだにまづ戦ひの口火は切られた。両軍の戦死傷はたちまち数百、戦ひはまづ互角と見られたがそのうち趙雲自身深く敵中へはいつて李典を見つけ、これを追つて、散々に馳け立てた為、李典の陣形は潰乱(クワイラン)を来し、曹仁の中軍まで皆なだれこんで来た。
曹仁は、赫怒(カクド)して、
「李典には戦意がないのだ。首を刎ねて陣門に梟(か)け、士気を革(あらた)めねばならん」
と、左右へ罵つたが、諸人に宥(なだ)められて漸くゆるした。
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次回 → 軍師の鞭(二)(2025年7月15日(火)18時配信)