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蔡瑁と蔡夫人の諜略(テフリヤク)は、その後も熄(や)まなかつた。一度の失敗は、却つてそれを募らせた傾きさへある。
「どうしても、玄徳を除かなければ——」
と、躍起になつて考へた。
けれども肝腎な劉表がそれを許さない。同じ漢室の裔(エイ)ではあるし、親族にもあたる玄徳を殺したら、天下に外聞が悪いといふのである。
まだ、口には出さないが、そのため、継嗣(ケイシ)の争ひや閨閥(ケイバツ)の内輪事が、世間へ漏れることも極力避けようと努めてゐるらしい。総じて、彼の方針は、事(こと)勿(なか)れ主義をもつて第一としてゐた。
蔡夫人は、良人のさうした態度に焦々(じり/\)して、兄の蔡瑁に、事を急ぐこと頻(しき)りだつた。閨門と食客とは、いつも不和を醸すに極(きま)つたものだが、彼女が玄徳を忌み嫌ふことは、実に執拗(シツエウ)であつた。
「まあ、おまかせあれ」
蔡瑁は、彼女を宥(なだ)めて、頻りと機を測つてゐたらしかつたが、或る時、劉表にまみえて、謹んで献言した。
「近年は五穀よく熟して、豊作が続いてゐます。殊(こと)にことしの秋はよく実り、国中豊楽を唱へてをりますれば、この際、各地の地頭官吏を初め、田吏(デンリ)にいたる迄(まで)を、襄陽にあつめて、慰労の猟(かり)を催し大宴を張り、以(もつ)て御威勢を人民に示し、また諸官吏を賓客として、御主君みづから犒(ねぎら)ひ給へば荊州の富強はいよいよ万々歳と思はれますが、ひとつお気晴らしに、お出ましあつては如何なもので」
劉表はすぐ顔を振つた。左の髀(もゝ)を撫(な)でながら、顔を顰(しか)めて、
「案はいゝが、わしは行かぬ。劉琦か劉琮でも代理にやらう」
と云つた。近頃、劉表は神経痛に悩んで、夜も睡眠不足でゐることを、蔡瑁は夫人から聞いてよく知つてゐる筈だつた。
「困りましたな。御嫡子方は、まだ御幼年ですから、御名代としても、賓客に対して礼を缺きませうし……」
「では、新野にをる玄徳は、同宗(ドウソウ)の裔だし、わしの外弟(おとうと)にもあたる者。彼を請(シヤウ)じて、大宴の主人役とし、礼を執り行はせたらどんなものだらう」
「至極結構と存じます」
蔡瑁は、内心仕すましたりと歓んだ。早速「襄陽の会」の招待を各地へ触れると共に、玄徳へ宛てゝ劉表の意なりと称し、主人役を命じた。
あれから後、玄徳は新野へ帰つても、怏々(アウ/\)として楽しまない容子だつたが、この飛状に接すると、ふたゝび、
「噫(あゝ)。また何か無ければよいが」
と、先頃の不愉快な思ひ出が胸に疼(うづ)いてきた。
張飛は、仔細を知ると、
「御無用々々々、そんな所へ行つて、何の面白い事があらう。断つてしまふに限る」
と、無造作に止めた。
孫乾も、ほゞ同意見で、
「お見合わせがよいでせう。恐らくは、蔡瑁の詐計(サケイ)かも知れません」と、観破してしまつた。
けれど関羽、趙雲のふたりは、
「いま命に反(そむ)けば、いよいよ劉表の疑心を買ふであらう。如(し)かず、こゝは眼をつぶつて、軽くお役目だけを勤めてすぐお立ち帰りある方が無事でせう」
と、すゝめた。玄徳もまた、
「いや、わしもさう思ふ」
と、三百餘騎の供(とも)揃(ぞろ)ひを立て、趙雲一名を側(そば)に連れて、即日、襄陽の会へ出向いて行つた。
襄陽は新野を距(さ)ること遠かつた。約八十里ほど来ると、すでに蔡瑁以下、劉琦、劉琮の兄弟だの、また王粲(ワウサン)、文聘(ブンヘイ)、鄧義(トウギ)、王威(ワウヰ)などといふ荊州の諸大将まで、すべて旺(さかん)な列伍を敷いて、玄徳を出迎へるため立ち並んでゐた。
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次回 → 檀渓を跳ぶ(二)(2025年7月2日(水)18時配信)