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新野は一地方の田舎城(ゐなかじろ)である。
けれど、河南の春は平和に、ここへ来てから、玄徳に歓び事があつた。
正室の甘夫人が、男児を産んだのである。
お産の暁方には、一羽の鶴が、県衙(ケンガ)の屋根に来て、四十餘声啼いて西へ翔け去つたといふ。
また、妊娠中に夫人が、北斗星を呑んだ夢を見たといふので、幼名を「阿斗(アト)」とつけ、すなわはち劉禅(リウゼン)阿斗と称した。
時は、建安十二年の春だつた。
ちやうどその前後、曹操の遠征は、冀州から遼西にまで及んで、許昌の府は、殆(ほとん)ど手薄と窺はれたので、玄徳は再三再四、劉表に向つて、
「今こそ、志を天下に成す時ですが」
と、すゝめたが、劉表の答へは極(きま)つてかうであつた。
「いや自分は、荊州九郡を保つてさへゐれば、家は富み国は栄えるばかりだ。この上に何を望まう」
玄徳は失望した。
むしろこの人は、天下の計よりも、内心の一私事に煩(わづ)らつてゐるのではないか。
曽(か)つて、劉表から打明けられた家庭上の問題を、玄徳は思(おもひ)出してみた。
劉表には二子があつた。
劉琦(リウキ)は、前の妻(つま)陳夫人(チンフジン)の腹であり、次男(ジナン)劉琮(リウソウ)は、蔡夫人の産(な)した子である。
長男の琦は、賢才の質だが柔弱だつた。そこで次男の琮を立てようとしたが、長子を廃すのは国乱の始めなりと、俄然、紛論が起つて、沙汰止みとされ、やむなく礼に順(したが)つて、次男を除かうとしたところ、蔡夫人蔡瑁などの勢力が隠然とものを云つて、背後から彼を苦しめ惑はすのであつた。
折々、登城しては、その劉表に向つて、天下の機微や風雲を語つてみても、こんな女々(めゝ)しい愚痴ばかり聞かされるので、玄徳もひそかに見限つてゐた。すると或る折、酒宴の半ばに、玄徳は厠(かはや)へ立つて、座に帰ると、暫くのあひだ黙然と興も無げにさし俯(うつ)向(む)いてゐた。
劉表は怪訝(いぶか)つて、
「どう召されたか。何ぞ、わしの話でも、気に障られたか」
と、たづねた。
玄徳は面を振つて、
「いえいえ、御酒宴を賜はりながら、愁然(シウゼン)と鬱(ふさ)ぎこみ、私こそ申しわけありません。仔細はかうです。たゝ今、厠へ参つて、ふとわが身を顧みると、久しく美衣美食に馴れた〔せゐ〕でせう、髀(もも)の肉が肥え脹(ふく)れて参りました。——曽(か)つては、常に身を馬上におき、艱苦(カンク)辛酸(シンサン)を日常としてゐた自分が——噫(あゝ)、いつのまにこんな贅肉を生じさせたらうか。日月の去るは水の流るゝ如く、かくて自分もまた、為すこともなく空しく老いて行くのか……と、ふとそんな事を考へ出したものですから、思はずわれとわが身を恥ぢ、不覚な涙を催したわけでした。どうか、お心にかけないで下さい」
と、詫びて、瞼をかろく指の腹で拭つた。
劉表は、思ひ出したやうに、
「さう/\、ずつと以前、許昌の官府で、君と曹操と、青梅の実をとり酒を煮て、共に英雄を論じた時、どちらが云つたか知らないが、天下の群雄もいま恐れるに足るものはない、まづ真の英雄とゆるされる者は、御辺と我ぐらゐなものであらう——と語つたさうだが、その一方の御身が、先頃からこの荊州に来てゐてくれるので、この劉表もどんなに心強いか知れぬ」
と、云つた。
玄徳もその日は、いつになく感傷的になつてゐたので、
「曹操如き何かあらんです。もし私が貧しくも一国を持ち、それに相応する兵力さへ持てば……」
と、つい口を辷(すべ)らせかけたが、ふと劉表の顔色が変つたのに気づいて、後は笑ひに紛らして、わざと杯(さかづき)をかさねて大酔したふりをしてそこに眠つてしまつた。
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次回 → 食客(四)(2025年6月30日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。