ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 邯鄲(かんたん)(三)
***************************************
亡国の最後を飾る忠臣ほど、あはれにも悲壮なものはない。
審配の忠烈な死は、いたく曹操の心を打つた。
「せめて、故主の城址(しろあと)に、その屍(かばね)でも葬つてやらう」
冀州の城北に、墳(つか)を建て、彼は手厚く祠(まつ)られた。
建安九年の秋七月、さしもの強大な河北もこゝに亡んだ。冀州の本城には、曹操の軍馬が充満した。
曹操の嫡子(チヤクシ)曹丕(サウヒ)は、この時年十八で、父の戦に参加してゐたが、敵の本城が陥(をち)るとすぐ随身の兵をつれて城門の内へ入らうとした。
当然、落城の直後とて、そこは遮断されてゐる。番の兵卒が、
「待てつ、どこへ行くか。——丞相の御命令だ。まだ何者でも、ここを通つてはならん」
と、遮つた。
すると曹丕の随臣は、
「御曹司のお顔を知らんか」
と、あべこべに叱りとばした。
城内はまだ餘燼(ヨジン)濛々(モウ/\)と煙つてゐる。曹丕は万一、残兵でも飛びだしたらと、剣を払つて、片手にひつさげながら、物珍しげに、諸所(シヨシヨ)隈(くま)なく見て歩いてゐた。
すると、後堂の仄(ほの)暗い片隅に、一夫人がその娘らしい者を抱いて竦(すく)んでゐた。紅の光りが眼をかすめた。珠や金釵(キンサ)が泣きふるえてゐるのである。
「——誰だつ?」
曹丕も足をすくめた。
微(かす)かな声で、
「妾(わらは)は、袁紹の後室(コウシツ)劉夫人です。むすめは、次男の袁煕の妻……」
と、眸に、憐れを乞ふやうに告げた。
なほ問ふと、袁煕は遠くへ逃げたといふ。——曹丕は〔つと〕寄つて、むすめの前髪をあげて見た。そして自分の錦袍(ひたたれ)の袖で、娘の容顔(かんばせ)を拭いてやつた。
「ああ!これは夜光の珠だ」
曹丕は、剣を拾ひ取つて、舞はんばかり狂喜した。そして自分は曹操の嫡男であると二女(ふたり)に明かして、
「助けてやる!きつと一命は守つてやる!もう慄へなくともいゝ」
と、云ひ渡した。
その時、父の曹操は、威武堂々、こゝへ入城にかゝつてゐた。すると、彼の郷里の旧友で、黄河の戦ひから寝返りして従(つ)いてゐた例の許攸(キヨシウ)が、いきなり前列へ躍り出して、
「いかに阿瞞(アマン)。もしこの許攸が、黄河で計(はかり)ごとを授けなかつたら、いくら君でも、今日、この入城は出来なかつただらう」
と、鼻高々、鞭をあげて、吩咐(いひつ)けられもしないのに一(イツ)鼓(コ)六(ロク)足(ソク)の指揮をした。
曹操は非常に笑つて、
「さうだ/\。君の云ふ通りである」
と、彼の得意をなほ煽(あふ)つた。
城門からやがて府門へ通るとき、曹操は何かで知つたとみえ、番兵に詰問した。
「予の前に、こゝを通過した者は誰だ!何奴か!」
番の将士は戦慄して、
「世子(セシ)でゐらせられます」
と、有(あり)の儘(まゝ)答へると、曹操は激色すさまじく、
「わが世子たりとも軍法を紊(みだ)すに於(おい)ては、断乎免じ難い。荀攸、郭嘉、其(その)方(ハウ)共はすぐ曹丕(そうひ)を召捕つて来い。斬らねばならん」
郭嘉は諫めて、世子でなくて誰がよく城中を踏み鎮めませうと云つた。曹操は救はれたやうに
「むゝ、それも一理ある」
と不問に付して馬を降(くだ)り、階を鳴らして閣内へ通つた。
劉夫人は、彼の脚下に拝して、曹丕の温情を嬉し泣きしながら告げた。曹操はふと、娘の甄(ケン)氏を見て、その天麗の美質に愕(おどろ)きながら、
「なに。曹丕が。そんな優(やさし)い情を示したといふか。それは怖らくこの娘が嫁に欲しいからだ。曹丕の恩賞には、これ一つで足りよう。他愛のないやつではある」
粋(スイ)な父の丞相は、冀州陣の行賞として、甄(ケン)氏を彼に賜はつた。
***************************************
次回 → 野に真人あり(二)(2025年6月19日(木)18時配信)