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勇にも限度がある。
趙雲子龍も、やがては、戦ひつかれ、玄徳も進退(シンタイ)谷(きはま)つて、すでに自刃を覚悟した時だつた。
一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。
養子の関平や、部下周倉をしたがへ、三百餘騎で馳せ降つて来た。
猛然、張郃の勢を、うしろから粉砕し、趙子龍と協力して、たうとう敵将張郃を屠(はふ)つてしまつた。
玄徳は測(はか)らぬ助けに出会つて、歓喜のあまり、この時、天に両手をさしのべて、
「あゝ、我また生きたり!」
と、叫んだといふ。
そのうちに、おとゝひから敵中に苦戦してゐた張飛も、麓の一端を突破して、山上へ逃げのぼつて来た。
玄徳に出会つて、
「味方の輸送部隊にあつた龔都も惜しいかな、雄敵夏侯淵のために、討死をとげました」
と、復命した。
「ぜひもない……」
玄徳は、山嶮に拠つて、最後防禦にかゝつた。けれど、俄(にはか)造りの防寨(バウサイ)なので、風雨にも耐へられないし、兵糧や水にも困りぬゐた。
「曹操自身、大軍を指揮して、麓から総がゝりに襲(よ)せて来ます」
物見は頻(しき)りと、こゝへ急を告げた。——玄徳は、怖れ慄(ふる)へた。夫人や老幼の一族を、如何にせん?——と憂ひ悩んだ。
「孫乾を、夫人や老少の守護にのこし、その餘の者は、のこらず出て、決戦しよう」
これが大部分の意見だつた。
玄徳も決心した。関羽、張飛、趙子龍など、挙げて、麓の大軍へ逆落しに、突撃して行つた。
半日の餘にわたる死闘、また死闘の物(もの)凄(すさま)じい血戦の後、月は山の肩に、白く冴えた。
その夜、曹操は、
「もはや、これ以上、痛めつける必要もあるまい」
と、敗将玄徳の無力化したのを見とゞけて、大風(タイフウ)の去るごとく、許都へ凱旋してしまつた。
わづかな残軍を、さらに散々に討ちのめされた玄徳、わづかな将士をひきつれて、こゝかしこ流亡の日をつゞけた。
ひとつの大江に行きあたつた。
渡船をさがして対岸へ着き、ここは何処かと土地の名を漁夫に訊くと、
「漢江(カンカウ)(湖北省)でございます」と、いふ。
その漁夫が知らせたのであらう、江岸の小さい町や田の家から、
「劉皇叔様へ——」と、羊の肉や酒や野菜などをたくさん持つて来て献じた。
一同は河砂(かはすな)のうへに坐つて、その酒を酌み、肉を割いた。
汀(みぎは)のさゞ波は、玄徳の胸に、そぞろ薄命を嘆かせた。
「関羽といひ、張飛といひ、また趙雲子龍といひ、そのほかの諸将も、みな王佐の才あり、稀世の武勇をもちながら、わしのやうな至らぬ人物を主と仰いで従つて来た為、事(こと)毎(ごと)に憂目にばかり遭はせて来た。それを思ふと、この玄徳は、各々に対してあげる面もない心地がする。——にも拘(かゝは)らず、各々は他に良き主を求め、富貴を得ようともせず、かうして労苦を共にしてくれるのが……」
杯の酒にも浮かず、玄徳が沁々(しみ/゛\)云うと、諸将みな沈湎(チンメン)、頭(かうべ)を垂れてすゝり泣いた。
関羽は杯を下において、
「むかし漢の高祖は、項羽と天下を争つて、戦ふ毎(ごと)に負けてゐましたが、九里山の一戦に勝つて、遂に四百年の基礎をすゑました。不肖、われわれも皇叔と兄弟の義をむすび、君臣の契(ちぎり)を固め、すでに二十年、浮沈興亡、極まりのない難路を越えて来ましたが、決してまだ大志は挫折してをりません。他日、天下に理想を展(の)べる日もあらん事を想へば、百難何かあらんです。お気弱い事を仰せられますな」
と切に励ました。
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次回 → 泥魚(四)(2025年6月10日(火)18時配信)