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前回はこちら → 泥魚(一)
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「はて。——曹操の備へとしてはいつにない守勢だ。彼はそんな消極的な戦法を好む性格ではないが?」
ひとり関羽は怪しんでゐた。曹操を知るもの、関羽以上の者はない。
果(はた)せるかな、変が顕(あらは)れた。
「汝南から前線へ、兵糧の運輸中龔都の隊は、道にて曹操の伏勢に囲まれ、全滅の危(あやふ)きに瀕(ヒン)してゐます!」
と、いふ後方からの飛報だつた。
すると、又、次の早馬の伝令には
「——強力な敵軍が、遠く迂回して来て、汝南の城へ急迫し、留守の守りは、苦戦に陥つてゐる!」
と、ある。
玄徳は、色を失つて、
「留守の城には、われを初め、人々の妻子もをること」
と、関羽をして、救ひの為、そこへ急派し、同時に張飛には、兵糧輸送隊の救援を命じた。
だが、その張飛の手勢も、現地まで行かないうちに、又も敵に包囲されたと聞えて来たし、関羽の方とは、それきり連絡も絶えて、玄徳の本軍は、漸く孤立の相を呈して来た。
「進まんか。退(しりぞ)かんか?」
玄徳は、迷つた。
趙雲は、討つて出て、前面の敵と雌雄を決すべきだと、悲壮な覚悟をもつて云つたが、
「いや、それは捨身だ。軽々しく死ぬときではない」
と、玄徳は自重して、一(ひと)先(ま)づ穰山へ退却しようと決めた。
しかし、万全な退却は、進撃よりも難かしい。昼は、陣地を固く守つて、士気を養ひ、ひそかに準備をしておき、翌晩、闇夜を幸(さいはひ)に、騎馬を先とし、輸車歩兵をうしろに徐々と退却を開始した。
そして約五六里——穰山の下までさしかゝつた時である。突然断崖のうへで声がした。
「劉玄徳を捕り逃がすなつ!」
それに答へる喊声(カンセイ)と共に、山の上から太い火の雨が降つて来た。無数の松明(たいまつ)が焰の尾を曳いて、兵馬の上へ浴びせかゝつて来たのである。
山は吠え、鼓は鳴り、岩石は陥(お)ちてくる。
逃げまどふ玄徳の兵は明(あきら)かに次の声を耳に知つた。
「曹操は、こゝにある。降る者はゆるすであらう。弱将玄徳ごときに従(つ)いて、犬死する愚者は死ね。生きて楽しまうとする者は、剣をすてゝ、予の軍門に来れ」
火の雨の下、降る石の下に、阿鼻叫喚して、死物狂ひに退路をさがしてゐた兵は、さう聞くと争つて剣を捨て、槍を投げ、曹操の軍へ投降してしまつた。
趙雲は、玄徳の側へ寄り添つて、血路を開きながら、
「怖れることはありませんぞ。趙雲がお側にあるからは」
と、励まし/\逃げのびた。
山上からどつと、于禁、張遼の隊が襲(よ)せて来て、道を塞(ふさ)ぐ。
趙雲は、槍をもつて、遮る敵を叩き伏せ、玄徳も両手に剣を揮(ふる)つて、暫(しば)し戦つてゐたが、又(また)復(また)、李典の一隊が、うしろから迫つて来たので、彼はたゞ一騎、山間(やまあひ)へ駈けこみ、つひにその馬も捨てゝ身ひとつを、深山へ隠した。
夜が明けると、峠の道を、一隊の軍馬が、南の方から越えて来た。驚いて、隠れかけたが、よく見ると、味方の劉辟だつた。
孫乾、靡芳(ママ)なども、その中にゐた。聞けば、汝南の城も支へきれなくなつたので、玄徳の夫人や一族を守護して、これまで落ちのびて来たのであるといふ。
汝南の残兵千餘をつれて、まづ関羽や、張飛と合流してから、再起の計を立てようものと、そこから三、四里ほど山伝ひに行くと、敵の高攬(ママ)、張郃の二隊が、忽然、林の中から紅の旗を振つて、突撃して来た。
劉辟は、高欖(ママ)と戦つて、一(イチ)戟(ゲキ)の下に斬り落され、趙雲は高欖(ママ)へ飛びかゝつて、一突きに、高欖(ママ)を刺し殺した。
しかし、わづか千餘の兵では、一たまりもない。玄徳の生命は、暴風の中にゆられる一(イツ)穂(スイ)の燈火(ともしび)にも似てゐた。
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次回 → 泥魚(三)(2025年6月9日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。