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或(ある)日、曹操の陣所へ、土民の老人ばかりが、何十人もかたまつて訪ねて来た。髪の真白な者、山羊(やぎ)のやうな鬚(ひげ)を垂れた者、杖をついた者、童顔の翁など、ぞろ/\つながつて、
「丞相へお祝ひをのべにきましたのぢや」
と、卒へ云ふ。
卒の取次を聞くと、曹操はすぐ出て来た。そして一同に席を与へ、
「おまへ達は、幾歳になるか」
と、訊ねた。
一人は百四歳と答へる。一人は百二歳といふ。最低の者でも八十、九十歳だつた。
「めでたい者達だ」
と、曹操は、酒を飲ませたり、帛(きぬ)を与へたりした。
そして猶(なほ)、云ふには、
「予は老人が好きだ、また老人を尊敬する。なぜなら、多難な人生を、おまへ達の年齢まで生きて来ただけでも大変なものぢやないか。生きて来たというだけでも充分に尊敬に値(あたひ)するが、また、悪徳をやつて来た者では、そこまで無事でゐるわけがない。だから高齢者はすべて善民であり、人中の人である」
老人達はすつかり歓んでしまつた。百何歳といふ中の一翁が、謹んで答へた。
「いまから五十年前——まだ桓帝(クワンテイ)の御宇(ギヨウ)の頃です。遼東の人で殷馗(インキ)といふ豫言者が村へ来たとき申しました。近頃、乾(いぬゐ)の空に黄星(こうせい)が見える。あれは五十年の後、この村に稀世の英傑が宿する兆(しらせ)ぢやと。——その後、村は袁紹の治下になつて悪政に苦しめられ、いつまでこんな世がつゞくのかと思つてゐましたところ、まさに今年は、殷馗の豫言した五十年目にあたりますのぢや。そこで一同打揃つて、お歓びに参つたわけでござりまする」
と、携へて来た猪(ゐのこ)や鶏を献物に捧げ、箪食壺漿(タンシコシヤウ)して、賑(にぎ)やかに帰つた。
曹操は、軍令を出して、
一、農家耕田ヲ荒ス者ハ斬(キル)
一、一犬一鶏タリト盗ム者ハ斬
一、婦女ニ戯ルヽ者ハ斬
一、酒ニ紊(ミダ)レ火ヲ弄ブ者ハ斬
一、老幼ヲ愛護シ仁徳ヲ施スハ賞ス
と、諸軍に法札を掲げさせた。
「善政来(ゼンセイライ)!」
「泰平来(タイヘイライ)!」
土民が彼を謳歌したことはいふまでもない。ために彼の軍はその後、兵糧や馬糧にも困らなかつたし、屢々(しば/\)土民から有利な敵の情報を聞くことも出来た。
敵の袁紹は、捲土重来(ケンドチヨウライ)して、四州三十万の兵を催し、ふたたび倉亭(サウテイ)(河北省・倉亭)のあたりまで進出して来たと早くも聞えた。
曹操も全軍を押し進め、戦書を交して、堂々と出会つた。
開戦第一の日。
袁紹は一人の甥と、三人の子をうしろに従へ、陣前へ出て曹操へ呼びかけた。
曹操は、颯爽と、鼓声(コセイ)に送られて、姿を示し、
「世に無用なる老夫。なほ、曹操の刃(やいば)を煩(わずら)はさんとするか」
と、罵つた。
袁紹は怒つて、直(たゞち)に、
「世に害をなすあの賊子を討てツ」
と、左右へ叱咤した。
三男の袁尚が、父の眼に、手柄を見せようものと、声に応じて、曹操へ討つてかゝる。
曹操は、その弱冠なのに、眼をみはつて、
「あはれ、この青二才は、何者か」
と、うしろへ訊いた。
「袁紹の子三男袁尚です。それがしが承らん」
と、鎗をひねつて、躍りでた者がある。徐晃の部下、史渙だつた。
彼の鋭い鎗先に追はれて、袁尚はたちまち逃げ出した。のがさじと、史渙は追ひ捲(まく)る。すると袁尚は〔しり〕眼に振向いて、矢ごろをはかり、丁と弓弦(ゆづる)を切つて、一矢を放つた。
矢は、史渙の左の目に立つた。
どうつと、転(まろ)び落ちる土煙と共に、袁紹以下、旗下(はたもと)達も、声をあはせて、御曹司袁尚の手柄をどつと賞(ほ)めたゝへた。
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次回 → 十面埋伏(四)(2025年6月4日(水)18時配信)