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前回はこちら → 逆(さか)巻(ま)く黄河(六)
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【前回までの梗概】
◇…後漢の乱れに乗じて、天下を窺ふもの、中央に曹操、北に袁紹、南に孫策。その間に高潔なる人格と、関羽、張飛の二名臣を有するとはいへ天の未だ与せざる劉備がある。
◇…孫策は英才を抱きながら夭折し、弟孫権立つといふも呉は守勢の域を脱し得ず、劉備も敗戦に次ぐ流浪からやうやく一拠点を得たに止り、真に天下を争ふものは曹、袁の二雄。
◇…両雄の対陣は黄河を挟んで長期戦化すかに見えたが、袁に統率の大器に缺くるところありそれが曹操の奇襲を蒙る因ともなつて、糧食難の苦境にあつた曹軍の大捷となる……
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袁紹はわづか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽(山西省・黎城附近)まで逃げのびて来たが、味方の聯絡はズタ/\に断ち切られてしまひ、これから西すべきか東すべきか、その方途にさへ迷つてしまつた。
黎山(レイザン)の麓(ふもと)に寝た夜の明け方ごろである。
ふと、眼をさますと。
老幼男女の悲泣哀号(ヒキフアイガウ)の声が天地にみちて聞えた。
耳をすましてゐると、その声は親を討たれた子や、兄を失つた弟や、良人を亡くした妻などが、交交(こもごも)に、肉親の名を呼びさがす叫びであつた。
「蓬紀(ホウキ)、義渠(ギキヨ)の二大将が、諸所のお味方をあつめて、たゞ今、こゝに着きました」
旗下の報(し)らせに、袁紹は、
「さては、あの叫びは、敗残のわが兵を見て、その中に身寄の者がありやなしやと、案じる者共の声だつたか……」
と、思ひあわせた。
しかし逢紀、義渠の二将が追ひついてくれたので、彼は蘇生の思ひをし、冀州の領へ帰つて行つたが、その途々(みち/\)にも、人民たちが、
「もし田豊の諫(いさ)めをお用ひになつてゐたら、こんな惨(みじ)めは見まいものを」
と、部落を通つても、町を通つても、沿道に人のあるところ、必ず人民の哀号と恨みが聞えた。
それもその筈で、こんどの官渡の大戦で、袁紹の冀北軍は七十五万と称せられてゐたのに、いま逢紀、義渠などが附随してゐるとはいへ、顧みれば敗残の将士はいくばくもなく、寥々(レウ/\)の破旗悲風に鳴り、民の怨嗟(ヱンサ)と哀号の的(まと)になつた。
「田豊。……あゝさうだつた。実に、田豊の諫めを耳に入れなかつたのが、わが過ちであつた。何の面目をもつて彼に会はうか」
袁紹がしきりと悔い詫(わ)びるのを聞いて、田豊と仲のよくない蓬紀は、冀北城に近づくと、やがて彼が袁紹に重用されようかと惧(おそ)れて、かう讒言(ザンゲン)した。
「城中からお迎へのため着いた人人のはなしを聞くと、獄中の田豊は、お味方の大敗を聞いて、手を打つて笑ひ、それ見たことかと、誇りちらしてゐるさうです」
又しても袁紹は、こんな讒言の舌にうごかされて、内心ふたたび田豊を憎悪し、帰城次第に、斬刑に処してしまはふと心に誓つてゐた。
冀州城内の獄中に監せられてゐた田豊は、官渡の大敗を聞いて沈吟、食も摂(と)らなかつた。
彼に心服してゐる典獄(テンゴク)の奉行が、ひそかに獄窓を訪れてなぐさめた。
「今度といふ今度こそ、袁大将軍にも、あなたの御忠諫(ゴチユウカン)がよく分つたでせう。御帰国のうへは、きつとあなたに謝して、以後、重用遊ばすでせう」
すると田豊は顔を振つて、
「否(いな)とよ君。それは常識の解釈といふもの。よく忠臣の言を入れ、奸臣の讒(ザン)をみやぶるほどな御主君なら、こんな大敗は求めない。おそらく田豊の死は近きにあらう」
「まさか、そんな事は……」
と、典獄も云つてゐたが、果(はた)して、袁紹が帰国すると即日、一使が来て、
「獄人に剣を賜(たま)ふ」
と、自刃を迫つた。
典獄は、田豊の先見に驚きもし、また深く悲しんで、別れの酒(さけ)肴(さかな)を、彼に供へた。
田豊は自若として獄を出、莚(むしろ)に坐つて一杯の酒を酌み、
「およそ士たるものが、この天地に生れて、仕へる主を過つことは、それ自体すでに自己の不明といふほかはない。この期に至つて、何の女々(めゝ)しい繰言(くりごと)を吐かんや」
と、剣を受けて、みづから自分の首に加へて伏した。黒血大地を更に晦(くら)うし、冀州の空、星は妖しく赤かつた。田豊死すとつたへ聞いて、人知れず涙をながした者も多かつた。
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次回 → 十面埋伏(二)(2025年6月2日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。