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前回はこちら → 逆巻く黄河(四)
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淳于瓊が斬られたのを見て、袁紹の幕将たちは、みな不安に駆られた。
「いつ、自分の身にも」
と、巡る運命にをのゝきを覚えたからである。
中でも、郭図は、
「これはいかん……」
と、早くも、保身の智恵をしぼつてゐた。
なぜならば、ゆうべ官渡の本陣を衝けば必ず勝つと、大いにすゝめたのは、自分だつたからである。
やがてその張郃、高覧が大敗してこゝへ帰つて来たら、必定、罪を問はれるかも知れない。今のうちに——と彼はあわてて、袁紹にかう讒言(ザンゲン)した。
「張郃、高覧の軍も、今暁(コンゲウ)、官渡において、惨敗を喫しましたが、ふたりは元から、味方を売つて曹操に降らんといふ二心が見えてゐました。さてこそ、昨夜の大敗は、〔わざ〕とお味方を損じたのかも知れませぬぞ。いかに何でも、ああ脆(もろ)く、小勢の敵に敗れるわけはありません」
袁紹は、真(ま)つ蒼(さを)になつて、
「よしつ、立帰つて来たら、必ず彼等の罪を正さねばならん」
と、云ふのを聞くと、郭図はひそかに、人をやつて、張郃、高覧がひき揚げて来る途中、
「しばし、本陣に還るのは、見(み)合(あは)せられい。袁将軍は御成敗の剣を抜いて、貴公たちの首を待つてゐる」
と、告げさせた。
二人が、それを聞いてゐるところへ、袁紹からほんとの伝令が来て、
「早々に還り給へ」
と、主命を伝へた。
高覧は、突然剣を払つて、馬上の伝令を斬り落した。驚いたのは張郃である。
「なんで主君のお使(つかひ)を斬つたのか。そんな暴を働けば、なほさら君前で云ひ開きが立たんではないか」
と、絶望して悲しんだ。
すると高覧は、つよくかぶりを振つて、
「われ等、豈(あに)、死を待つべけんや。——おい、張郃。時代の流れは河北から遠い。旗を回(かへ)して、曹操に降(くだ)らう」
と、共に引つ返して、官渡の此方(こなた)に白旗をかゝげ、その日つひに、曹操の軍門に降服してしまつた。
諫める者もあつたが、曹操は容(い)れるに寛(ひろ)い度量があつた。
降将張郃を、偏将軍(ヘンシヤウグン)都亭侯(トテイコウ)に、高覧を同じく都亭侯に封(ホウ)じ、
「なほ、将来の大を期し給へ」
と、励ましたから、両将の感激したことはいふ迄(まで)もない。
彼の二を減じて、味方に二を加へると、差引四の相違が生じるわけだから、曹操軍が強力となつた反対に、袁将軍の弱体化は目に見えて来た。
それに烏巣(ウサウ)焼打(やきうち)以後、兵糧難の打開もついて、丞相旗のひるがへるところ、旭日昇天の概(ガイ)があつた。
許攸も、その後、曹操に好遇されてゐた。彼は又、曹操に告げて、
「こゝで、息を抜いてはいけません、今です。今ですぞ」
と励ました。
昼夜、攻撃また攻撃と、手をゆるめず攻めつゞけた。しかし何といつても、河北の陣営は夥(おびたゞ)しい大軍である。一朝一夕に崩壊するとは見えなかつた。
「——敵の勢力を三分させ、箇々殲滅してゆく策をおとりになつては如何ですか。まづそれを誘導するため、味方の勢を、実は少しづつ——黎陽(レイヤウ)(河北省・黎城附近)鄴都(河北省)酸棗(サンサウ)(河北省)の三方面へ分け、詐(いつは)つて、袁紹の本陣へ、各所から一挙に働く折を窺ふのです」
これは荀彧の献策だつた。こんどの戦ひで、荀彧が口を出したのは初めてゞあるから、曹操も重視して、その説に耳を傾けた。
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次回 → 逆巻く黄河(六)(2025年5月30日(金)18時配信)