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焦眉の急をそこに見ながら、袁紹には果断がなかつた。帷幕の争ひに対しても明快な直裁を下すことができなかつた。
彼とても、決して愚鈍な人物ではない。たゞ旧態の名門に生れて、伝統的な自負心がつよく、刻刻と変つて来る時勢と自己の周囲に応じてよく処することを知らなかつた日頃の科(とが)が、こゝへ来てつひに避けがたい結果をあらはし、彼をして、たゞ狼狽を感じさせてゐるものと思はれる。
「やめい。口論してゐる場合ではない」
たまらなくなつて、袁紹はつひに呶鳴つた。
そして、確たる自信もなく、
「張郃、高覧のふたりは、共に五千騎をひつさげて、官渡の敵陣を衝け。また、烏巣の方面へは、兵一万を率ゐて、蔣奇が参ればよい。はやく行け、はやく」
と、たゞ慌(あわ)たゞしく号令した。
蔣奇は心得てすぐ疾風陣を作つた。一万の騎士走卒はすべて馳足(かけあし)でいそいだ。烏巣の空はなほ炎々と赤いが、山間の道はまつ暗だつた。
すると彼方から百騎、五十騎とちり/゛\に馳けて来た将士が、みな蔣奇の隊に交じりこんでしまつた。もつとも出合ひがしらに先頭の者が、
「何者だつ?」
と、充分に糺(たゞ)したことは云ふまでもないが、みな口を揃へて、
「淳于瓊の部下ですが、大将淳于瓊は捕はれ、味方の陣所は、あのやうに火の海と化したので逃げ退(の)いて来たのです」
と云ふし、姿を見れば、すべて河北軍の服装なので、怪しみもせず、応援軍のなかに加へてしまつたものであつた。
ところが、これはみな烏巣から引つ返して来た曹操の将士であつたのである。中には、張遼だの許褚のごとき物騒な猛将も交じつてゐた。馳足の行軍中、蔣奇の前後にはいつのまにかさういふ面々が近づいてゐたのであつた。
「やつ、裏切者か」
「敵だつ」
突然混乱が起つた。暗さは暗し、敵か味方かわからない間に、すでに蔣奇は何者かに鎗で突き殺されてゐた。
たちまち四山の木々岩石はことごとく人と化し、金鼓は鳴り刀鎗はさけぶ。曹操の指揮下、蔣奇の兵一万の大半は殲滅(センメツ)された。
「追ひ土産まで送つて来るとは、袁紹も物好きな」
と、大捷(タイセフ)を博した曹操は、会心の声をあげて笑つてゐた。
その間に、彼はまた、袁紹の陣地へ、人をさし向けてかう云はせた。
「蔣奇以下の軍勢はたゞ今、烏巣についてすでに敵を蹴ちらし候へば、袁将軍にもお心を安じられまするやうに」
袁紹はすつかり安心した。——が、その安夢は朝とともに、霧の如く醒めてふたゝび惨憺(サンタン)たる現実を迎へたことはいふまでもない。
張郃、高覧も、官渡へ攻めかゝつて、手痛い敗北を喫してゐたのである。彼に備へがなかつたら知らないこと、あらかじめかゝる事もあらうかと、手具脛(てぐすね)ひいてゐた曹仁や夏侯惇(カコウジユン)の正面へ寄せて行つたので敗れたのは当然だつた。
そのあげく、官渡から潰乱して来る途中、運悪くまた曹操の帰るのにぶつかつてしまつた。こゝでは、徹底的に叩かれて、五千の手勢のうち生き還つたものは千にも足らなかつたといふ。
袁紹は茫然自失してゐた。
そこへ淳于瓊が、耳鼻(ジビ)を削(そ)がれて敵から送られて来たので、その怠慢を詰問(なじ)り、怒りにまかせて即座に首を刎ねてしまつた。
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次回 → 逆巻く黄河(五)(2025年5月29日(木)18時配信)