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前回はこちら → 溯(さか)巻(ま)く黄河(一)
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許攸は、懐中(ふところ)へ手を入れた。
そして、封のやぶれてゐる書簡を出して、曹操の眼の前へつき出した。
「これは一体、誰の書いたものでせう」
許攸は鼻の上に皮肉な小皺(こじわ)をよせて云つた。それは先に曹操から都の荀彧へ宛てゝ、兵糧の窮迫を告げ、早速な処置を促した直筆のものであつた。
「や。どうして予の書簡が、君の手にはいつてゐるのか」
曹操は仰天してもう噓は効かないと覚(さと)つた容子だつた。
許攸は、自分の手で、使を生け捕つたことなど、つぶさに話して
「丞相の軍は小勢で、敵の大軍に対し、しかも兵糧は尽きて、今日にも迫つてゐる場合でせう。なぜ敵の好む持久戦にひきずられ、自滅を待つておいでになるか、それがしに分りません」
と、云つた。
曹操はすつかり兜(かぶと)を脱いで、速戦即決に出たいにも名策はないし持久を計るには兵糧がない。如何(いか)にせば、こゝを打開できるだらうかと、辞を低うして訊ねた。
許攸は初めて、真実をあらはして云つた。
「こゝを離るゝこと四十里、烏巣の要害がありませう。烏巣はすなはち袁紹の軍を養ふ糧米が蓄(たくは)へある糧倉の所在地です。こゝを守る淳于瓊といふ男は、酒好きで、部下に統一なく、ふいに衝けば必ず崩れる脆弱(ゼイジヤク)な備へであります」
「——が、その烏巣へ近づくまでどうして敵地を突破出来よう」
「尋常なことでは通れません。まづ屈強なお味方をすべて北国勢に仕立て、柵門を通るたびに袁将軍の直属(チヨクゾク)蔣奇(シヤウキ)の手の者であるが、兵糧の守備に増派され、烏巣へ行くのだと答へれば——夜陰といへども疑はずに通すにちがひありません」
曹操は彼の言を聞いて、暗夜に光を見たやうな歓びを現した。
「さうだ、烏巣を焼討ちすれば袁紹の軍は、七日と持つまい」
彼は直(たゞち)に、準備にかゝつた。
まづ河北軍の偽旗(にせはた)をたくさんに作らせた。将士の軍装も馬飾りも幟(のぼり)も悉(ことごと)く河北風俗に倣つて彩られ、約五千人の模造軍が編制された。
張遼は、心配した。
「丞相、もし許攸が、袁紹のまはし者だつたら、この五千人は、ひとりも生き還れないでせうが」
「この五千は、予自身が率ゐてゆく。何で、わざ/\敵の術中へ墜ちにゆくものか」
「えつ、丞相御自身で」
「案じるな。——許攸が味方へとびこんで来たのは、実に、天が曹操に大事を成さしめ給ふものだ。若(も)し狐疑逡巡(コギシユンジユン)して、この妙機をとり逃したりなどしたら、天は曹操の暗愚を見捨てるであらう」
果断即決は、実に曹操の持つてゐる天性の特質中でも、大きな長所の一つだつた。彼には兵家の将として絶対に必要な「勘」のするどさがあつた。他人には容易に帰結の計りがつかない冒険も、彼の鋭敏な「勘」は一瞬に、その目的が成るか成らないか、最終の結果を覚(さと)るに早いものであつた。
——が、彼にとつて、恐いのは行く先の敵地ではなく、留守中の本陣だつた。
もちろん許攸はあとに残した。態(テイ)よく陣中に歓待(もてな)させておいて、曹洪を留守中の大将にさだめ、賈詡、荀攸(ジユンシウ)を助けに添へ、夏侯淵、夏侯惇(カコウジユン)、曹仁、李典などもあとの守りに残して行つた。
そして、彼自身は。
五千の偽装兵をしたがえ、張遼、許褚を先手とし、人は枚(バイ)をふくみ馬は口を勒(ロク)し、その日のたそがれ頃から粛々と官渡をはなれて、敵地深く入つて行つた。
時、建安五年十月の中旬(なかば)だつた。
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次回 → 逆巻く黄河(三)(2025年5月27日(火)18時配信)