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こゝに、袁紹の軍のうちに、許攸(キヨシウ)という一将校がゐた。年はもう相当な年配だが、掘子軍(クツシグン)の一組頭だつたり、平常は中隊長格ぐらゐで、戦功もあがらず、不遇なはうであつた。
この許攸が、不遇な原因は、ほかにもあつた。
彼は曹操と同郷の生れだから、餘り重用すると、危険だと視られてゐたのである。
酒を飲んだ時か何かの折に、彼自身の口から、
「おれは、子供の頃から、曹操とはよく知つてゐる。いつたい、あの男は、郷里にゐた時分は、毎日、女を射(い)当(あ)てに、狩猟には出る、衣装を誇つて、村の酒屋は飲みつぶして歩くといつたふうで、まあ、不良少年の大将みたいなものだつたのさ。おれも亦(また)、その手下でね、ずゐぶん乱暴をしたものだ」
などと、自慢半分に喋舌(しやべ)つたことが祟(たゝ)りとなつて、つねに部内から白眼視されてゐた。
ところが、その許攸が、偶然、一つの功を拾つた。
偵察に出て、小隊と共に、遠く歩いてゐるうち、〔うさん〕臭い男を一名捕まへたのである。
拷問してみると、計らずも大〔もの〕であつた。
さきに曹操から都の荀彧へあてて書簡を出してゐたが、以後、いま以(もつ)て、荀彧から吉報もなし、兵糧も送られて来ないので、全軍餓死に迫る——の急を報じて、彼の迅速な手配を求めてゐる重要な書簡を襟に縫ひこんでゐたのである。
「折入つてお願ひがあります。わたくしに騎馬五千の引率をおゆるし下さい」
許攸は、こゝぞ日頃の疑ひをはらし、また自分の不遇から脱する機会と、直接、袁紹を拝してさう熱願した。
もちろん證拠の一書も見せ、生(いけ)擒(ど)つた密使の口書(くちがき)もつぶさに示しての上である。
「どうする。五千の兵を汝に持たせたら」
「間道の難所をこえ、敵の中核たる許都の府へ、一気に攻め入ります」
「ばかな。そんなことが易々(やす/\)として成就するものなら、わしを初め上将一同、かく辛労はせん」
「いや、かならず成就してお見せします。何となれば、荀彧が急に兵糧を送れないのは、その兵糧の守備として、同時に大部隊をつけなければならないからです。併(しか)し、早晩その運輸は実行しなければ、曹操を初めとして、前線の将士は飢餓に瀕(ひん)しませう。——わたくしが思ふには、もうその輸送大部隊は、都を出てゐる気がします。さすれば、洛内の手薄たることや必(ヒツ)せりでありませう」
「そちは上将の智を軽んじをるな。左様なことは、誰でも考へるが、一を知つて二を知らぬものだ。——もしこの書簡が偽状(ギジヤウ)であつたらどうするか」
「断じて、偽筆(ギヒツ)ではありません。わたくしは曹操の筆蹟は、若い時から見てゐるので」
彼の熱意は容易に聞き届けられなかつたが、さりとて、思ひ止(とゞ)まる気色もなく、なほ懇願をつゞけてゐた。
袁紹は途中で、席を立つてしまつた。審配から使(つかひ)が来たからである。すると、その間(ま)に、侍臣がそつと彼に耳打ちした。
「許攸(キヨシウ)の言はめつたにお用ひになつてはいけません。下将(ゲシヤウ)の分際で、嘆願に出るなど、僭越(センヱツ)の沙汰です。のみならず、あの男は、冀州にゐた頃も、常に行ひがよろしくなく、百姓を脅(おど)して、年貢の賄賂(ワイロ)をせしめたり、金銀を借りては酒色に惑溺したり、鼻つまみに忌まれてゐるやうな男ですから」
「……ふム、ふム。わかつとる、わかつとる」
袁紹は二度目に出て来ると、穢(むさ)いものを見るやうな眼で、許攸を見やつて、
「まだ居たのか、退(さ)がれ。いつまで居つても同じことぢや」
と、叱りとばした。
許攸は、むつとした面持(おももち)で、外へ出て行つた。そしてひとり憤懣(フンマン)の餘り、剣を抜いて、自分の首を自分の手で刎ねようとしたが、
「豎子(ジユシ)、われを用ひず。いまに後悔するから見てゐろ。——さうだ、見せてやらう、おれが自刃する理由は何もない」
急に、思ひ直すと、彼はこそこそと塹壕(ザンガウ)のうちにかくれた。そしてその夜、わずか五、六人の手兵とともに、暗(アン)にまぎれて、官渡の浅瀬を渡り、一散に敵の陣地へ駈けこんで行つた。
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次回 → 溯(さか)巻(ま)く黄河(一)(2025年5月24日(土)18時配信)