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真夜中に、西北の空が、真つ赤に焦(や)け出したので、袁紹は陣外に立ち、
「何事だらう?」
と、疑つてゐた。
そこへ韓猛の部下が続々逃げ返つて来て、
「兵糧を焼かれました」
と告げたから袁紹は落胆もしたし、韓猛の敗退を、
「腑がひなき奴」
と憤つた。
「張郃やある!高覧も来れ」
彼は、俄(にはか)に呼んで、その二将に精兵をさづけ、兵糧隊を奇襲した敵の退路を断つて殲滅しろと命じた。
「心得ました。味方の損害は莫大のやうですが、同時に、兵糧を焼いた敵のやつらも、一匹も生かして返すことではありません」
二大将は手分けして、大道(タイダウ)をひた押しに駈け、見事、敵路を先に取つた。
徐晃は使命を果(はた)して、意気揚々と、このところへさしかゝつて来た。
待ちかまへてゐた高覧、張郃の二将は、
「賊は小勢だぞ。みなごろしにしてしまへ」
と、無造作に包囲して、馬を深く敵中へ駈け入れ
「徐晃は汝か」
と、彼のすがたを探しあてるやいな、挟み撃ちにおめきかゝつてゐた。
ところが。
背後の部下はたちまち蜘蛛(くも)の子みたいに逃げ散つた。怪しみながら両将も逃げ出すと、何ぞ計らん敵には堂々たる後(ゴ)詰(づめ)がひかへてゐたのである。
すなわち一軍は許褚、一軍は張遼、あはせて五千餘騎が、いちどに喊声(カンセイ)をあげて、逃げる兵を虱(しらみ)つぶしに殲滅してゐるではないか。
高覧は仰天して、
「これは及ばん」
と、戦はずして逃げ走り、張郃も、
「むだに命は捨てられん」
とばかり、逃げ鞭たゝいて逸走してしまつた。
徐晃は、後詰の張遼、許褚と合流して、悠々、官渡の下流をこえて陣地へ帰つたが、曹操が功を称(たゝ)へると、
「いや御過賞です。せつかく御使命を買つて出ながら、功は半(なかば)しか成りませんでした」
と、云つて自ら恥ぢた。
「なぜ恥ぢるか」
と、曹操が訊くと、
「でも、敵の兵糧を焼いて帰つて来たゞけでは味方の腹は〔くちく〕なりませんから」
と、答へた。
「ぜひもない。そこ迄(まで)は慾が張りすぎよう」
曹操が慰めたので、諸将はみな苦笑したが、まつたくこの戦果に依つては、少しも兵糧の窮乏は解決されなかつた。
しかし、これを袁紹のはうに比較すると、士気を昂(あ)げたゞけでも、やはり充分に、徐晃の功は大きかつたと云つていゝ。
袁紹は、期待してゐた兵糧の莫大な量をむなしく焼(やき)払はれたので、
「韓猛の首を陣門に曝(さら)させい」
と、赫怒(カクド)して命じたが、諸将があはれんで、頻(しき)りに命乞ひした為、将官の任を解いて、一兵卒に下してしまつた。
この難に遭つてから審配は、
「烏巣(ウサウ)(河北省)の守りこそは実に大事です。敵の飢餓して来るほど、そこの危険は増しませう」
と、大いに袁紹へ注意するところがあつた。
烏巣、鄴都(ゲフト)の地には、河北軍の生命(いのち)をつなぐ穀倉がある。云はれてみると猶(なほ)さら袁紹は心安からぬ気がして来たので、審配をそこへ派遣して、兵糧の点検を命じ、同時に淳于瓊(ジユンウケイ)を大将として、およそ二万餘騎を、穀倉守備軍として急派した。
この淳于瓊というのは、性来の大酒家で、躁狂広言(サウキヤウクワウゲン)の癖がある人物だつたから、その下に部将としてついて行つた呂威(リヨイ)、韓莒子(カンキヨシ)、眭元(ケイゲン)などは、
「また失態をやりださねばよいが」
と、内心不安を抱いてゐた。
けれど烏巣そのものゝ地は天嶮の要害であつた。それに安心したか、果(はた)して、淳于瓊は毎日、部下をあつめて飲んでばかりゐた。
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次回 → 霹靂車(六)(2025年5月23日(金)18時配信)