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この日、馬煙(うまけむり)は天を蔽(おほ)ひ、両軍の旗鼓(キコ)は地を埋めた。何やら燦々(サン/\)と群星の飛ぶやうな光を、濛々(モウ/\)のうちに見るのみだつた。
午(ひる)。陽(ひ)は正(まさ)に高し。
折から、三通の金鼓(キンコ)が、袁紹の陣地からながれた。
見れば、大将軍袁紹が、門旗をひらいて馬をすゝめてくる。黄金(こがね)の盔(かぶと)に錦袍(キンパウ)銀帯を鎧(よろ)ひ、春蘭と呼ぶ牝馬の名駿に螺鈿の鞍をおき、さすがに河北第一の名門たる風采堂々たるものを示しながら、
「曹操に一言(イチゴン)申さん」
と、陣頭に出た。
西軍の鉄壁陣は、許褚、張遼、徐晃、李典、楽進、于禁などの諸大隊をつらねて、あたかも人馬の長城を形成してゐる。——その真ん中をぱつと割つて、
「曹操これにあり、めづらしや河北の袁紹なるか」
と、乗り出して来たもの、いふ迄(まで)もなく、いま天下の動向この人より起ると視(み)られてゐる曹操である。
曹操はまづ云つた。
「予、さきに、天子に奏して、汝を冀北大将軍に封じ、よく河北の治安を申しつけあるに、みづから、叛乱の兵をうごかすは、抑(そも)、何事か」
彼が敵に与へる宣言はいつもこの筆法である。袁紹は当然面を朱に怒つた。
「ひかへろ曹操。天子のみことのりを私(わたくし)して、濫(みだ)りに朝威を〔かさ〕に振舞ふもの、すなわち廟堂(ベウダウ)の鼠賊(ソゾク)、天下のゆるさざる逆臣である。われ、いやしくも、遠祖累代、漢室第一の直臣たり。天に代つて、汝がごとき逆賊を討たでやあるべき。また是(これ)、万民の望む総意である」
宣言の上では、誰が聞いても、袁紹のはうが勝れてゐる。
だから曹操はすぐ、
「問答無用」
と、駒を返して、
「——張遼、出でよ」
と、高く鞭を振つた。
弩弓(ドキウ)、鉄砲など、いちどに鳴りとゞろく、飛箭(ヒセン)のあひだに、
「見参!」
と、張遼は馳けすゝんで来て、袁紹へ迫らうとしたが、袁紹のうしろから突として、
「罰当りめ。ひかへろ」
と、叱りながら、河北の勇将(ユウシヤウ)張郃(チヤウカフ)がをどり出して、敢然、戟(ほこ)を交へた。
二者、火をちらして激闘すること五十餘合、それでも勝負がつかない。
曹操は、遠くにあつて、驚きの目をみはりながら、
「抑(そも)、あの化物は何だ?」
と、つぶやいた。
差控へてゐた許褚は、こらへかねて大薙刀(おほなぎなた)を舞はし、奮然、突進して行つた。河北軍からは、それと見て、
「われ高覧(カウラン)あるを知らずや」
と、槍をひねつて向つて来る。
——その時、将臺の上に立つて、軍(いくさ)の大勢をながめてゐた袁紹方の宿将審配は、いま曹軍の陣から、約三千づゝ二手にわかれて、味方の側面から挟撃して来るのを見て、
「それつ、合図を」
と、軍配も折れよと振つた。
かゝる事もあらうかと、かねて隠しておいた弩弓隊や鉄砲隊の埋伏の計が、果然、図に中(あた)つたのである。
天地も裂くばかりな轟音となつて、矢石(シセキ)鉄丸(テツグワン)を雨あられと敵の出足へ浴びせかけた。側面攻撃に出た曹軍の夏侯惇、曹洪の両大将は、急に、軍を転回するいとまもなく、散々に討ちなされて潰乱(クワイラン)また潰乱の惨(サン)を呈した。
「いまぞ。追ひくづせ」
袁紹は、勝つた。まさにこの日の戦は、河北軍の大捷(タイセフ)であり、それにひきかへ、曹操の軍は、官渡の流れを渡つて、悲壮なる退陣をするうちに、日ははや暮れてゐたのであつた。
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次回 → 霹靂車(三)(2025年5月20日(火)18時配信)