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前回はこちら → 孫権立つ(一)
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縷々(ルヽ)とのぼる香のけむりの中に于吉のすがたが見えたのである。
投げた剣は侍臣を仆(たふ)し、その者は、七(シチ)穴(ケツ)から血をながして即死してゐるのに、孫策の眼には、なほ何か見えてゐるらしく、祭壇を蹴とばしたり、道士を投げたりして暴れ狂つた。
そのあとは又、いつものやうに疲れきつて、昏々と眠るが如く、大息(おほいき)をついてゐたが、われに回(かへ)ると急に、
「帰らう」
と、ばかりに玉清観の山門を出て行つた。
——と、路傍に沿つて、飄々と一緒について来る老人がある。孫策が轎(くるま)の内からふと見ると、于吉だつた。
「老(おい)ぼれつ、まだ居るかつ」
叫んだとたんに、彼は、簾(レン)を斬り破つて轎(くるま)から落ちてゐた。
城門を入るときにも、狂ひ出した。瑠璃瓦(るりがはら)の楼門の屋根を指さして、そこに于吉が居る、射止めよ槍を投げよと、まるで陣頭へ出たやうに、下知してやまないのであつた。
暴れ出すと、大勢の武士でも、手がつけられなかつた。寝殿は毎夜、不夜城のごとく灯をともし、昼も夜も、侍臣は眠らなかつたが一陣の黒風がくると、呉城全体があやしく揺れ震(をのゝ)くばかりだつた。
「この城中では眠れない」
遂に孫策もさう云ひ出した。で——城外に野陣を張り、三万の精兵が帷幕(ヰバク)をめぐつて警備についた。彼の眠る幕舎の外には、屈強な力士や武将が斧(をの)鉞(まさかり)をもつて、夜も昼も、四方を守つてゐた。
ところが、于吉のすがたは、眦(まなじり)を裂き、髪を〔さばい〕て、それでも毎夜、彼の枕頭に立つらしかつた。そして彼に会ふ者はみな、彼の形容(かたち)が変つて来たのに驚いた。
「……そんなに痩せ衰へたらうか」
孫策は或る折、ひとり鏡を取寄せて、自分の容貌をながめてゐたが、愕然と、鏡を抛(なげう)つて、
「妖魔め」
と、剣を払ひ、虚空を斬ること十数遍、うゝむ——と一声うめいて悶絶してしまつた。典医が診ると、せつかく一時癒(なほ)つてゐた金瘡(キンサウ)がやぶれ、全身の古傷から出血してゐた。
もう名医華沱(ママ)の力も及ばなくなつた。孫策も、ひそかに、天命をさとつたらしく、甚だしい衰弱のなほつゞくうちにもその後はやゝ狂暴もしづまつて、或る日、夫人を招いておとなしく云つた。
「だめだ……残念ながらもうだめだ……こんな肉体をもつて何でふたゝび国政をみることができよう。張昭をよんでくれ。そのほかの者共もみなこゝへ呼びあつめてくれ。……言(いひ)遺(のこ)したいことがある」
夫人は、慟哭して、涙に沈んでゐるばかりだつた。典医や侍臣たちは、
「すこし、御容子が……」
と、すぐ城中へ報(し)らせた。
張昭以下、譜代の重臣や大将たちが、ぞく/\と集まつた。
孫策は、牀(シヤウ)に起き直らうとしたが、人々が強(し)ひてとめた。わりあひに彼の面色は平静であつたし、眸も澄んでゐた。
「水をくれい」
と求めて、唇の渇きを潤してから、静(しづか)に彼はいひ出した。
「いまわが中国は、大きな変革期にのぞんでゐる。後漢の朝はすでに咲いて凋落にをのゝく花にも似てゐる。黒風濁流は大陸をうづまき、群雄いまなほその土に処(ところ)を得ず、天下はいよ/\分れ争ふであらう。……ときに、わが呉は三江の要害にめぐまれ、居ながらにして、諸州の動向と成敗を見るに充分である。とはいへ、地の利天産に恃(たの)むなかれ。……飽(あく)まで国を保つものは人である。汝等、われ亡きあとは、わが弟を扶(たす)け、ゆめ怠るな」
さう云つて、細い手を、わづかにあげて、
「弟、弟……孫権はゐるか」
と見まはした。
「はい、はい、孫権はこゝにをりまする」
群臣のあひだから、あはれにもまだ年若い人の低い声がした。
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次回 → 孫権立つ(三)(2025年5月13日(火)18時配信)