さきほどこちらのミスにより、明日配信予定のものを配信してしまいました。
お詫び申し上げます。以下が本日(5月8日)配信分となります。
明日、改めて先ほど配信した5月9日分を配信いたします。
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前回はこちら → 于吉仙人(三)
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孫策の母は、愁(うれ)ひ顔をもつて、嫁の呉夫人を訪れてゐた。
「そなたも聞ゐたでせう。策が于道士を捕へて獄に下したといふことを」
「えゝ、ゆうべ知りました」
「良人(をつと)に非行あれば、諫めるのも妻のつとめ。そなたも共に意見してたもれ。この母も云はうが、妻のそなたからも口添へして下され」
呉夫人も悲しみに沈んでゐたところである。母堂を初め、夫人に仕へる女官(ヂヨクワン)、侍女(こしもと)など、ほとんど皆、于吉仙人の信者だつた。
呉夫人はさつそく良人の孫策を迎へに行つた。孫策はすぐ来たが、母の顔を見ると、すぐ用向きを察して先手を打つて云つた。
「けふは妖人を獄からひき出して、断乎、斬罪に処するつもりです。まさか母上までが、あの妖道士に惑はされておいでになりはしますまいね」
「策、そなたは、ほんとに道士を斬るつもりですか」
「妖人の横行は国のみだれです。妖言妖祭、民を腐らす毒です」
「道士は国の福神です、病(やまひ)を癒(なほ)すこと神のごとく、人の禍を豫言して誤つたことはありません」
「母上もまた彼の詐術にかゝりましたか、いよ/\以(もつ)て許せません」
彼の妻も、母とともに、口を極めて、于吉仙人の命乞ひをしたが、果ては、
「女(をんな)童(わらべ)の知るところでない」
と、孫策は袖を払つて、後閣から立ち去つてしまつた。
一匹の毒蛾は、数千の卵を生みちらす。数千の卵は、また数十万の蛾と化して、民家の灯、王城の燭、後閣の鏡裡(キヤウリ)、ところ、嫌はず妖舞して、限りもなく害をなさう。孫策はそう信じて、母のことばも妻のいさめも耳に入れなかつた。
「典獄。于吉を曳き出せ」
主君の命令に、典獄頭(てんごくのかみ)は、顔色を変へたが、やがて獄中から曳き出した道士を見ると、首枷(くびかせ)が懸けてない。
「たれが首枷を外したか」
孫策の詰問に典獄はふるへ上つた。彼もまた信者だつたのである、いや、典獄ばかりでなく、牢役人の大半も実は道士に帰依してゐるので、いたくその祟(たゝ)りを恐れ、縄尻を持つのも厭(いと)ふ風であつた。
「国の刑罰を執り行ふ役人たるものが、邪宗を奉じて司法の任にためらふなど言語道断だ」
孫策は怒つて剣を払ひ、たちどころに典獄の首を刎ねてしまつた。また于吉仙人を信ずるもの数十名の刑吏を、武士に命じてことごとく斬刑に処した。
ところへ張昭以下、数十人の重臣大将が、連名の嘆願書をたづさへて、一同、于吉仙人の命乞ひに来た。孫策は、典獄の首を刎ねて、まだ鞘にも納めない剣をさげたまゝ嘲(あざ)笑(わら)つて、
「貴様たちは、史書を読んで、史を生かすことを知らんな。むかし南陽の張津(チヤウシン)は、交州(カウシウ)の太守となりながら、漢朝の法度(ハツト)を用ひず、聖訓をみな捨てゝしまつた。そして、常に赤き頭巾を着、琴を弾じ、香を焚き、邪道の書を読んで、軍(いくさ)に出れば不思議の妙術をあらはすなどと、一時は人に稀代な道士などゝいはれたものだが、たちまち南方の夷族(イゾク)に敗られて幻妙の術もなく殺されてしまつたではないか、要するに、于吉もこの類(たぐひ)だ、まだ害毒の国全体に及ばぬうちに殺さねばならん。——汝等、無益な紙筆を費やすな」
頑(グワン)として、孫策はきかない。すると、呂範がかうすゝめた。
「かうなされては如何です。彼が真の神仙か、妖邪の徒か、試みに雨を祈らせてごらんなさい。幸ひにいま百姓たちは、長い旱(ひでり)に困りぬいて、田も畑も亀裂してゐる折ですから、于吉に雨乞ひの禱(いの)りを修させ、もし験(しる)しあれば助け、効のないときは、群民の中で首を刎ね、よろしく見せしめをお示しになる。その上の御処分なら、万民もみな得心するでせう」
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次回 → 于吉仙人(五)(2025年5月9日(金)18時配信)