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関羽にあひ、また、ゆくりなくも趙子龍に出会つて、玄徳の左右には、兵馬の数こそ乏しいが、はやくも将星の光彩が未来を耀(かゞや)かしてゐた。
やがて、古城は近づいた。
待ちかねてゐた望楼の眸は、はやそれと遠くから発見して、
「羽将軍が劉皇叔をお迎へして参られましたぞ」
と、大声で下へ告げた。
喨々たる奏楽がわきあがつた。奥の閣からは二夫人が楚々たる蓮歩(レンホ)を運んで出迎へる。服装こそ雑多なれ、こゝの山兵もけふはみな綺羅(きら)びやかだつた。大将張飛も最大な敬意と静粛をもつて、出迎への兵を閲し、黄旗(クワウキ)青旗(セイキ)金繡旗(キンシウキ)日月旗(ジツゲツキ)など、万朶(バンダ)の花の一時にひらくが如く翩翻(ヘンポン)と山風になびかせた。
玄徳以下、列のあひだを、粛々と城内へとほつた。
「あの君が、これからの総帥となるのか。あの人が、関羽といふのか」
通過のあひだに、ちらと見たゞけで、兵卒たちの心理は、その一瞬から変つた。もう古城の山兵でも烏合の衆でもなかつた。
楽器の音は、山岳を驚かせた。空をゆく鴻は地に降り、谷々の岩燕は、瑞雲(ズヰウン)のやうに、天に舞つた。
まづ何よりも、二夫人との対面の儀が行はれた。関羽は、堂下に泣いてゐた。
夜は、牛馬を宰して、聚義(シユウギ)の大歓宴が設けられた。
「人生の快、こゝに尽くる」
関羽、張飛がいふと、
「何でこれに尽きよう。これからである」
と、玄徳はいつた。
趙雲、孫乾(ソンカン)、簡雍、周倉、関平(クワンヘイ)などみな杯を交歓して
「これからだつ!これからだつ!」
と、どよめき合つた。
使者をうけて、汝南の劉辟と龔都もやがて馳けつけ、賀をのべてさて云つた。
「この狭隘(ケフアイ)な地では、守るによくとも、大志は展(の)べられません。かねてのお約束、汝南を献じます。汝南を基地として、次の大策におかゝりください」
古城には、一手の勢をのこして、玄徳は即日、汝南へ移つた。徐州没落このかた、実に何年ぶりだらうか。かうして君臣一城に住み得る日を迎へ取つたのは。
顧みれば——
それはすべて忍苦の賜(たまもの)だつた。また、分散してもふたゝび結ばんとする結束の力だつた。その結束と忍苦の二つをよく成さしめたものは、玄徳を中心とする信義、それであつた。
さて、日の経つほどに。
漸く、焦躁と不安に駆られてゐたのは袁紹である。
「荊州から何の消息(おとづれ)も来るわけはありません。玄徳は関羽、張飛、趙雲などを集めて、汝南にたて籠つてをる由です」
そう聞いたときの彼の憤激はいふまでもない。
河北の大軍を一度にさし向けようとすら怒つたほどである。
郭図が、うまい事を云つた。
「愚です。玄徳の変は、いはばお体にできた癬疥(センカイ)の皮膚病です。捨ておいても、今が今といふほど、生命(いのち)取(と)りにはなりません。何といつても、心腹の大患は、曹操の勢威です。これを延引しておいては、呉当家の強大もつひには命脈にかゝはりませう」
「さうか。……うゝム、然(しか)しその曹操もまた急には除けまい。すでに戦ひつゝあるが、戦ひは膠着(カウチヤク)の状にある」
「荊州の劉表を味方にしても、大局は決しますまい。何となれば、彼には大国大兵はあつても、雄図がありません。たゞ国境の守りに怯々(ケフ/\)たる事(こと)勿(なか)れ主義の男です。——あんな者に労を費(つひや)すよりは、むしろ南方の呉国孫策の勢力こそ用ふべきでありませう。呉は、大江の水利を擁し、地は六郡に、威(い)は三江に奮ひ、文化たかく産業は充実し、精兵数十万はいつでも動かせるものと観られます。いま国交を求むるとせば、新興の国、呉を措(お)いてはありません」
と、熱心に説いた。
袁紹の重臣陳震が、書を載せて、呉へ下つたのは、それから半月ほど後(のち)のことだつた。
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次回 → 于吉(うきつ)仙人(一)(2025年5月5日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。