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「おう」
「オー……」
瞬間ふたりの唇(くち)から洩れたものは、それでしかない。関羽も玄徳も、無言は百言にまさる思ひだつた。
関定は二人の子息とともに、門を開いて玄徳を奥に招じた。住居は侘(わび)しい林間の一屋ながら、心からな歓待は、これも善美な贅(ぜい)にまさるものがある。
やゝ人なき折を見て玄徳と関羽は、はじめて手を取りあつて泣いた。関羽は、玄徳の沓(くつ)に頰を寄せ、玄徳はその手を押しいたゞいて額につけた。
その小(さゝ)やかな歓宴の座で、玄徳は、関定の子息関平(クワンヘイ)のどこやら見どころある為人(ひととなり)を愛(め)でゝ、
「関羽にはまだ子もないから、次男の関平(クワンヘイ)を養子に乞ひうけてはどうか」
と、云つた。
ふたりある息子のひとりである。関定は願つてもないことゝ歓(よろこ)んだ。関羽もひそかに関平(クワンヘイ)の才を愛してゐたし、談はたちどころに纏(まと)まつた。
「袁紹の討手が向はぬうちに」
と、一同は次の朝すぐこゝを出発した。
急ぎに急いで、旅は日ごとに捗(はか)どつた。やがて雲表(ウンヘウ)に臥牛山の肩が見えだす。次の日にはその麓路(ふもとぢ)へさしかかつてゐた。
すると、かねて関羽のさしづで、この附近へ手勢をひいて出迎へに出てゐるはずの裴元紹の手下が、彼方から猛風に趁(お)はれたやうに逃げ散つて来た。
「何故の混乱か」
と、関羽は、その中にゐた周倉を見つけて質(たゞ)すと、周倉が云ふには、
「誰やら得態(えたい)が分りませぬ。われわれ共が、今日のお迎へのため、勢揃ひして山上からおりてまゐると、途中一名の浪人者が、馬をつないで路上に鼾睡(カンスイ)してゐます。先頭の裴元紹が、退(ど)けと罵ると、山賊の分際で白昼通るは何奴かと、刎(は)ね起きるやいな裴元紹を斬り伏せてしまつたのでござる。——それつと手下の者共、総がゝりとなつて、対手(あひて)の浪人を蔽(おほ)ひつゝみました、がその者の膂力(リヨリヨク)絶倫で、当れば当るほど猛気を加へ、如何(いかん)とも手がつけられません。およそ世の中にあんな武力の持主(もちぬし)といふものは見たこともありません」
関羽は、聞き終ると、
「さらば、その珍しい人物の戟(ほこ)と、この青龍刀とを、久しぶり交ぢへてみよう」
と、一騎でまつ先に立つて、山麓の高所へ駈(か)け上つて行つた。
玄徳も鞭をあてゝすぐその後につゞいた。すると、彼方の岩角に、鷲の如く、駒を立てゝゐた浪人者は、玄徳のすがたを見ると、忽ち鞍から降りて、関羽が来てみた時は、もう地上に平伏してゐた。
「やあ、趙雲ではないか」
玄徳も関羽も、ひとつ口のやうに叫んだ。浪人者は面をあげて、
「これは計らざる所で、……」とばかり、暫(しば)しはたゞなつかしげに見まもつてゐた。
これなん真定常山の趙雲、字(あざな)は子龍その人であつた。
趙子龍はずつと以前、公孫瓚の一方の大将として、玄徳とも親交があつた。かつては玄徳の陣にゐたこともあるが、北平の急変に公孫瓚をたすけ、奮戦百計よく袁紹軍を苦しめたものである。が、力つひに及ばず、公孫瓚は城とともに亡び、以来、浪々の身によく節義をまもり、幾(いく)度(たび)か袁紹にも招かれたが袁紹には仕へず、諸州の侯伯から礼をもつて迎へられても祿や利に仕へず、飄零風泊(ヒヨウレイフウハク)、各地を遍歴してゐるうち、汝南州境の古城に張飛がたて籠つてゐると聞いてにはかにそこを訪ねてみようものと、こゝまで来た途中である。——と語つた。
玄徳はこゝで君に会ふとは、天の賜(たまもの)であると感激して、さらに云つた。
「君を初めて見た時から、ひそかに自分は、君に嘱(よ)す思ひを抱いてゐた。将来、いつかは、刎頸(フンケイ)を契らんと」
すると、趙子龍も云つた。
「拙者も思つてゐました。あなたのやうな方を主と仰ぎ持つならば、この肝脳を地にまみれさせても惜しくはないと——」
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次回 → 兄弟再会(五)(2025年5月3日(土)18時配信)