ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 兄弟再会(二)
***************************************
袁紹は考へこんだ。大いに意のうごいた容子である。玄徳はかさねて云つた。
「それに近頃また、関羽も許都を脱出して、諸所を彷徨(さまよ)うてをるやに伝へられてをります。私をして、荊州へお遣はし下さるならかならず関羽にも会ひ、お味方に伴(つ)れもどりませう」
「なに、関羽を」
袁紹は急に面をあらためて、
「彼は、顔良、文醜を討つた讐(かたき)ではないか。わしにその関羽を献じて、首を刎ねよと申すのか」
「いえいえ、そんなわけではありません。顔良、文醜のごときは、たとへば二匹の鹿です。二つの鹿を失つても、一匹の虎をお手に入れゝば、償(つぐの)うて餘りあるではございませんか」
「あはゝゝ、いや今のは、いさゝか戯れを云うてみた迄(まで)のこと。わしも実は深く関羽を愛してをる。真実、其許(そのもと)が荊州に赴いて劉表を説き、併せて関羽を連れて来るなら、何でわしが不同意を云はう。すぐ出発してくれい」
「承知しました。……が、大策は前に洩れると行へません。私が荊州に行き着くまでは、お味方に極めて御内聞になしおかれますやうに」
玄徳はさう云つて、一夜に身支度をとゝのへ、翌日ひそかに袁紹の書簡をうけ、風の如く関外へ走り去つた。
そのあとで、すぐ簡雍は袁紹の前へ出た。そして袁紹を不安に陥れた。
「彼を荊州へお遣はしになつたさうですが、実に飛んでもない事をなされました。玄徳はあのやうな温和な人物ですから、反対に劉表に説き伏せられて、荊州へ付いてしまふ惧(おそ)れがありはしませんか。劉表も遠大な野心を抱いてゐますし、彼と彼とは、ともに宗族で親類も同様ですからな」
「木乃伊(みいら)取(と)りが木乃伊になつては何もならん。いや後日の大害だ。どうしたらいゝだらう」
「てまへが追ひかけて呼び返して参りませう」
「それも餘りにわしの面目にかゝはるが」
「では、てまへが随員として、玄徳について行きませう。断じて、御使命を裏切らぬやうに」
「さうだ、それが上策。すぐ追つてゆけ」
と、関門の割符(わりふ)を与へてしまつた。
簡雍が馬を飛ばして、どこかへ急いで行つたといふのを、郭図が耳にしたのは夕方だつた。部下に調べさせてみると、その前に玄徳は荊州の旅へ立つて行つたといふ。
「しまつた!」
愴惶として、郭図は冀州城にのぼり、袁紹に謁してかう忠言した。
「何たる不覚をなされたのですか。さきに玄徳が汝南から帰つて来たのは、汝南はまだ兵力も薄く、自分の事を計るには足らないから見限つて来たのです。こんどはさうは行きません。荊州へ行つたら必ず二度と帰つては来ますまい。それがしに追ひ討ちをおゆるしあれば、長駆追撃して、彼を首とするか、生捕つて来るか、どつちかにします。どうか御決断ください」
しかし袁紹はゆるさなかつた。玄徳のことばだけでは、まだ惑つたかも知れないが、簡雍が二重の計にかけてあるので、深く信じこんでをり、疑つてみようともしないのである。
郭図は、長嘆したが、黙々退出するしかなかつた。
簡雍はすぐ玄徳に追ひついてゐた。うまく行つたな、と相(あひ)顧(かへ)りみて一笑した。
冀州の堺も無事に脱けた。
孫乾はさきに廻つて、ふたりを待ちうけ、道の案内をしてやがて関定の家へ着いた。見れば——
関定の家の門前には、主(あるじ)の関定やら関羽以下の面々が立ち並んで出迎へてゐる。久しやと、相(あひ)見(み)交(か)はす眼は、彼もこなたも、共にはやいつぱいな涙であつた。
***************************************
次回 → 兄弟再会(四)(2025年5月2日(金)18時配信)