ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 古城窟(一)
***************************************
「はて、あの古城には、煙りがたちのぼつてゐる。何者が立(たて)籠つてゐるのであらうか」
関羽と孫乾(ソンカン)が、小手をかざしてゐる間に、周倉は気転よくどこかへ走つて行つて、土地の者を引つ張つて来た。
その土民は猟夫(レフシ)らしい。人々に問はれてかう話した。
「三月ほど前のことでした。名を張飛とかいふ恐ろしげな大将が四、五十騎ほどの手下を連れて来て、にはかにあの古城へ攻めかけ、以前からそこを巣にして威を振つてゐた千餘の〔あぶれ〕者や賊将を悉(こと/゛\)く退治してしまひました。そしていつの間にか壕を深くし、防柵を結び、近郷から兵糧や馬をかりあつめ人数も追々(おひ/\)と殖やして来て、今では、三千人以上もあれに立(たて)籠つてゐるさうで……何にしても土地の役人や旅の者でも、震(ふる)ひ怖れて、あの麓へ近づく者はありません。旦那方も、道はすこし遠廻りになりますが、こつちの峰の南を廻(まは)つて、汝南へお出でになすつたはうが御無事でございませうよ」
さりげない態を装つて聞いてゐたが、関羽は心のうちで飛び立つほど歓んでゐた。
土民を追ひ放すと、すぐ孫乾(ソンカン)をかへりみて、
「聞いたか、いまの話を。まぎれもない義弟(おとうと)の張飛だ。徐州没落ののち、各々離散して半年あまり、計らずもこゝで巡り会はうとは。——孫乾(ソンカン)、貴公すぐに、あの古城へ走せ参つて、仔細を告げ、張飛に会つて、二夫人の御車をむかへに出よと伝へてくれい」
と、云つた。
孫乾(ソンカン)も勇み立つて、
「心得て候(さふら)ふ」
とばかり直ちに駒をとばして行つた。
飛馬は見るまに渓谷へ駈け下りて、また彼方の山裾をめぐり、程なく目的の古城の下に近づいた。
その昔(かみ)、いかなる王侯が居を構へてゐたものか、規模広大な山城であるが、山嶂(サンシヤウ)の塁壁望楼はすべて風化し、わづかに麓門(ロクモン)や一道の石階(セキカイ)などが、修理されてあるかに見える。刺(シ)を通じると、番卒から部将に、部将から張飛にと、孫乾(ソンカン)の来訪が伝へられた。
「孫乾(ソンカン)が来るわけはない。偽者(にせもの)だらう」
張飛の大声が中門に聞えた。孫乾(ソンカン)は思はず、
「俺だよ、俺だよ」
と、麓門の側でどなつた。
「やあ、やはりおぬしか。どうしてやつて来た」
彼の元気は相変らずすばらしい。高い石段の上から手をあげて呼び迎へる。やがて通されたのは山腹の一閣で、張飛はこゝに構へて王者を気取つてゐるふうである。
「絶景だな。うまい所を占領したものぢやないか。これで一万の兵馬と三年の糧食があれば一州を手に入れることは易々(イヽ)たるものだ」
孫乾が云ふと、張飛は、呵々(カヽ)と笑つて、
「住んでからまだ三月にしかならないが、もう三千の兵は集まつてゐる、一州はおろか、十州、二十州も伐り従へて故主玄徳のお行方が知れたら、そつくり献上しようと考へてをるところだ。おぬしも俺の片腕になつて手伝へ」
「いや、劉皇叔のためには、手伝ふも手伝はんもない。われ等はみな一体のはずだらう。実は、今日これへ参つたのも、その皇叔の二夫人を護つて、汝南へ赴く途中の関羽どののことばに依つて拙者が先触れに来た次第である。——すぐ古城を出て二夫人の車を迎へに出られたい」
「なに、関羽が来てゐるとの?」
「許都を立つて、これより汝南の劉辟のもとへ行く御予定だ。そこには、河北の袁紹にしばらく身をよせてゐた御主君も、先に落ちのびてゐられるはずだから……」
と、なほ細々(こま/゛\)と、前後の〔いきさつ〕を物語ると、張飛は何思つたか、にはかに城中の部下へ陣触れを命じ、自身も一丈八尺の蛇矛(ジヤボウ)を携へて、
「孫乾、あとから来いよ」
と、急な疾風雲(はやてぐも)のやうに、山窟の門から駈(か)け出して行つた。
その様子がどうも、穏(おだや)かでないので、置き去りを喰つた孫乾も、あわてゝ馬にとび乗つた。
***************************************
次回 → 古城窟(三)(2025年4月25日(金)18時配信)